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GAKUTEN

Author:GAKUTEN
●艦これをきっかけに艦船プラモデルに戻ってきたいわゆる出戻り提督モデラーです。
 ・・プラモを始めたのは15年の年末ごろ。艦これは2か月程先行。
 ・・しかし、以前はウオーターラインシリーズを集めきっていたくらい艦船好き。
 ・・当時は戦車、飛行機、ガンプラと幅広く手掛けていたらしい記憶がわずかに。
●船だけが今復活したのは、その後も船はなぜか好きだったから。フォローはしていた。
 ・・現用艦もいけますが、太平洋戦争の船が特に好き!
●プラモデルの他に動物(主に猫)、読書、テニスが好きです。
●プラモデルの作成方針は、それぞれの船の特徴をピックアップし、自分なりのこだわりを持ちながらもスピードを意識した組み立てです。
●基本、週末の建造ですが忙しい時期には遅れがちなことも・・・
●提督モデラーの方々や最近始めた方の参考に少しでもなれば幸いです。
●艦船に歴史あり、感動的な話もあります。歴史的な話も含めて主観に基づいて書いていきます。
●コメント大歓迎。気軽にお願いします。

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2016/09/19 (Mon) 17:59
雪風と天津風の装備の違い10点ピックアップ

雪風と天津風の話に戻ります。
前述のフジミさんの「日本海軍駆逐艦 雪風1945 2隻セット」を用いて作ります。
雪風は沖縄特攻時の再現で、基本、このキットと純正のエッチングパーツをそのまま使えば良いのですが、天津風は異なる兵装でした。
というのは、天津風は1944年に日本を出発して以来、自爆、自沈する1945年4月までついに日本に帰ることが出来ませんでした。経緯は次の通りです。天津風は1944年1月に千歳、雪風と共にヒ31船団を護衛してシンガポールに向かう際に米潜水艦レッドフィンに雷撃を受け左舷第一煙突の下部に命中、悪天候も相まって幸か不幸か船体断裂するも沈むことなく、漂流するもなんとかサイゴンにたどり着きます。その後、シンガポールで仮艦首やマストを付けますが、船体はほぼ半分のまま、25歳の森田艦長ら船員は内地への帰投を希望し、1945年3月ヒ88J船団に加わって本国への帰投を試みます。このころの船団航行はほぼ自殺行為で米潜水艦や飛行機の空襲で船団全滅ということがたびたび起きます。この時も空襲などで船団は全滅、天津風はアモイ湾までたどり着き座礁。乗員退去の後、爆雷で自爆します。
てな訳で終戦まじかの1945年4月まで生き残るも44年1月以降は内地へ帰投できず、装備も同年代の陽炎型駆逐艦と異なりました。
そもそも雪風はどんな困難な作戦も生き残るので大体において最新のものを装備されており、優先、優遇されていました。生き残る分装備の分析もできるしそんなに装備供給も豊富でもない中、生き残る船に優先して装備をしたくなる訳です。
そんな訳でまず天津風と雪風の装備の違いをメモりました。
雪風天津風設計図
装備の推測はモデルアート社の「帝国海軍駆逐艦総ざらい」の陽炎型の年次装備を参考にしました。
それと天津風の船体断裂後の写真がネット上にあったのでこれも参考にしました。
そんな訳で違いは艦首方向から下記の通りとしました(乏しい資料なので間違っているかも知れませんが)
1.艦橋前の機銃:天津風 25mm連装機銃、雪風 三連装機銃
2.羅津艦橋の装甲版;天津風 なし、雪風 あり
3.艦橋横25mm単装機銃:天津風 なし、雪風 3基×2(両側)
4.1番煙突横単装機銃:天津風 なし、雪風 1基×両側
5.2番煙突横下単装機銃と側面の防弾板;天津風 なし、雪風 1基×両側、防弾板有
6.後部マスト13号電探:天津風 なし、雪風あり
7.12.7mmC型 2番砲塔 天津風あり、雪風は撤去の上25mm三連装機銃2基に置き換え
8.2番砲塔側面の25mm単装機銃 天津風 1基×両側、雪風 3基×両側、側面防弾板もあり
9.後甲板 単装機銃:天津風 なし、雪風 1基×両側
10.舷窓:天津風舷窓あり、雪風 舷窓を塞いでいる
天津風の13号電探の有無は迷いましたが、断裂後の写真でどう見ても無いようなのでなしと判断しました。
尚、この写真で明らかに2番砲塔は存在するのでこれは迷う必要はありませんでした。
尚、船体色はMrカラーの呉軍艦色で塗りました。雪風は佐世保の建造ですが、「呉の雪風、佐世保の時雨」でお馴染みの様に呉を母港にしています。天津風は駆逐艦造船所の舞鶴の生まれですが、最後は横須賀からの出発です。横須賀なら軍艦色2だと思いますが長い外地で色が落ちたということで呉で統一しました。(手間を省略したという訳では・・・・)

この中で主に1.2の艦橋付近、10番舷窓と、7,8の2番砲塔周辺に言及して次以降書いて行きたいと思います。
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