柱島泊地レポート(その1)
夏の暑さも取りあえず峠を越えたという感じでしょうか?
しかし気候の変わり目は体調を崩しやすいもの、皆さんもお気を付けください。
私は、艦これは15年の秋から始めているのですが、
いわゆる地獄の激戦区「柱島泊地」サーバーです!
艦これのサーバーには最初の「横須賀鎮守府」から現在までに20サーバーあります。
そのサーバーには旧帝国海軍4鎮守府から、基地、泊地の名前が付けられています。
その中にはショートランドやブルネイ、タウイタウイといったの東南アジアや
現在ではほとんど行くのが不可能な単冠湾や幌筵泊地(ぱらむしる)なんてもあります。
まあ、20あるサーバーの約半分が日本にある地名ってとこでしょうか。
私は柱島泊地ってのは艦これを始める前から知っていました
なにしろ”戦艦陸奥なぞの轟沈”があった場所でしたから・・・

呉市周辺の聖地巡礼レポートも併せてみていただけると幸いです
☟
呉市周辺の聖地巡礼 空母葛城とか軽巡大淀とか榛名とか利根とか
戦艦陸奥は1943年(昭和18年)6月8日に謎の大爆発を起こして爆沈しました。
弾薬庫に火がついての爆沈で第3砲塔は艦橋の高さまで飛び上がったとのことです。
ではその柱島泊地ってのはどこにあるのでしょうか?

泊地ってのは”艦の停泊する場所”で島に横づけする訳ではありません。
周防大島と柱島群島の間が船の停泊地としてちょうどいいのでここが使われていた訳です。
さて、その柱島にはどのようにしたら行けるのでしょうか?
この盆休みでふと思い立って柱島に行って来ました!
今では様々な便利アプリがあるのですが、
まずは岩国港
↓
そこから「高速船すいせい」に乗ります。
↓
黒島、端島を経由して柱島に
一日に3便から4便。
日帰りの場合は、行きしに帰りの乗船予約を取った方が無難です。
私も10時岩国港発→14時15分柱島発の便で日帰りしました。
(その両方共が土日、お盆、正月だけある便です)
詳しくはこちらのHPを
↓
山口県観光サイト
では出発です!
<岩国港>

岩国港ですが、岩国駅からも遠いので注意。
歩いては行けません。
バスの本数も相当少ないので注意です!
港の待合室に柱島のパンフが置いてありました!
<柱島パンフ 表>

<柱島パンフ 裏>

柱島群島は5つの島からなります。
その中でパンフにもある3つの島には合わせて250人程の方が住んでおり、
主に漁業で生計を立てられているらしいですね。
(島で聞いた話)
この柱島、釣り人には有名らしいです。
私の友人の以前は結構釣りをしていた友人は釣りでいったことがあるらしい。
<高速艇で柱島へ>

着くと、第3代騎兵隊総督 赤禰武人(あかねたけと)の立看

朝の便で出発すると着くのは昼くらいなのですが、正直島にはお店も食堂もありませんのでご注意!
早速、陸奥の慰霊碑に向かう
島に調度来ていて他の提督さんと一緒に陸奥の慰霊碑に向かいました。
歩いて30分くらいで陸奥の慰霊碑に付きます!


ここで英霊の方々にお祈りして海を臨みます。

墓標から直ぐ海が見えます。
ここから見えるのが”続島”
島に流されてきた遺体は秘密裏にこの続島に移され荼毘にふされました。
更に奥の沖にみえる島が戦艦の形にみえるのは私だけでしょうか?
陸奥の爆沈で1122名が犠牲になりました。
沈没でというよりほぼ爆死らしいです。
しかし、当時戦艦陸奥は”世界のビッグ7”
日本を代表する戦艦でした(大和や武蔵は秘密だし)
陸奥の沈没は戦中はほぼ日本の国民には知らされませんでした。

墓標の近くにある砂浜と離れ小島の”新宮の鼻”
柱島の観光案内に移っている海の風景はここの写真です。
まるで南の島の様な美しい光景です。
後半に続きます!
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夏の暑さも取りあえず峠を越えたという感じでしょうか?
しかし気候の変わり目は体調を崩しやすいもの、皆さんもお気を付けください。
私は、艦これは15年の秋から始めているのですが、
いわゆる地獄の激戦区「柱島泊地」サーバーです!
艦これのサーバーには最初の「横須賀鎮守府」から現在までに20サーバーあります。
そのサーバーには旧帝国海軍4鎮守府から、基地、泊地の名前が付けられています。
その中にはショートランドやブルネイ、タウイタウイといったの東南アジアや
現在ではほとんど行くのが不可能な単冠湾や幌筵泊地(ぱらむしる)なんてもあります。
まあ、20あるサーバーの約半分が日本にある地名ってとこでしょうか。
私は柱島泊地ってのは艦これを始める前から知っていました
なにしろ”戦艦陸奥なぞの轟沈”があった場所でしたから・・・

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☟
呉市周辺の聖地巡礼 空母葛城とか軽巡大淀とか榛名とか利根とか
戦艦陸奥は1943年(昭和18年)6月8日に謎の大爆発を起こして爆沈しました。
弾薬庫に火がついての爆沈で第3砲塔は艦橋の高さまで飛び上がったとのことです。
ではその柱島泊地ってのはどこにあるのでしょうか?

泊地ってのは”艦の停泊する場所”で島に横づけする訳ではありません。
周防大島と柱島群島の間が船の停泊地としてちょうどいいのでここが使われていた訳です。
さて、その柱島にはどのようにしたら行けるのでしょうか?
この盆休みでふと思い立って柱島に行って来ました!
今では様々な便利アプリがあるのですが、
まずは岩国港
↓
そこから「高速船すいせい」に乗ります。
↓
黒島、端島を経由して柱島に
一日に3便から4便。
日帰りの場合は、行きしに帰りの乗船予約を取った方が無難です。
私も10時岩国港発→14時15分柱島発の便で日帰りしました。
(その両方共が土日、お盆、正月だけある便です)
詳しくはこちらのHPを
↓
山口県観光サイト
では出発です!
<岩国港>

岩国港ですが、岩国駅からも遠いので注意。
歩いては行けません。
バスの本数も相当少ないので注意です!
港の待合室に柱島のパンフが置いてありました!
<柱島パンフ 表>

<柱島パンフ 裏>

柱島群島は5つの島からなります。
その中でパンフにもある3つの島には合わせて250人程の方が住んでおり、
主に漁業で生計を立てられているらしいですね。
(島で聞いた話)
この柱島、釣り人には有名らしいです。
私の友人の以前は結構釣りをしていた友人は釣りでいったことがあるらしい。
<高速艇で柱島へ>

着くと、第3代騎兵隊総督 赤禰武人(あかねたけと)の立看

朝の便で出発すると着くのは昼くらいなのですが、正直島にはお店も食堂もありませんのでご注意!
早速、陸奥の慰霊碑に向かう
島に調度来ていて他の提督さんと一緒に陸奥の慰霊碑に向かいました。
歩いて30分くらいで陸奥の慰霊碑に付きます!


ここで英霊の方々にお祈りして海を臨みます。

墓標から直ぐ海が見えます。
ここから見えるのが”続島”
島に流されてきた遺体は秘密裏にこの続島に移され荼毘にふされました。
更に奥の沖にみえる島が戦艦の形にみえるのは私だけでしょうか?
陸奥の爆沈で1122名が犠牲になりました。
沈没でというよりほぼ爆死らしいです。
しかし、当時戦艦陸奥は”世界のビッグ7”
日本を代表する戦艦でした(大和や武蔵は秘密だし)
陸奥の沈没は戦中はほぼ日本の国民には知らされませんでした。

墓標の近くにある砂浜と離れ小島の”新宮の鼻”
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まるで南の島の様な美しい光景です。
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