軍艦防波堤(福岡県北九州市)聖地巡礼その2
前の記事に引き続き、北九州市の軍艦防波堤レポートです!
この軍艦防波堤には、駆逐艦柳(初代)、防空駆逐艦 秋月型で最期には戦艦大和と沖縄特攻で傷つきながらも何とか佐世保に戻った冬月と涼月の3艦が眠っています。
前回の記事はこちら
↓
軍艦堤防(聖地巡礼)その1
<駆逐艦涼月>

駆逐艦涼月は駆逐艦秋月型の3番艦です。
同型艦ですが、細かく言うと、秋月と涼月は部分的に若干形状が異なります。
駆逐秋月建造日誌
↓
フジミ製 駆逐艦秋月建造日誌
でも、写真の初月(4番艦)と涼月(3番艦)はかなり近いのです。
<駆逐艦初月>

<柳の艦首から駆逐艦涼月と駆逐艦冬月の埋められている方向を望む>

軍艦防波堤から涼月、冬月の方向を眺めながら
私は以前、「激闘駆逐艦隊: 萩風・凉月の奮戦記 」(河出文庫)を読んだ時の沖縄特攻からの帰還シーンを思い出したりしていました。
感動的な話ですので簡単に要約しますね。
<駆逐艦涼月の決死の帰還>
1945年4月7日
第一波空襲時に艦橋前に150kg爆弾の直撃を受け、上甲板、側面に大破口が空き、火災も発生しました。
作戦継続不可能と判断した駆逐艦涼月艦長 平山中佐は作戦継続不可能と判断し帰投を決意。
しかしながらジャイロコンパスも海図もほぼ焼失している状態でした。
艦首側は進水。前方傾斜は10度。
前進すると沈んでしまうため、後進9ノットで帰還を目指します。
途中、米空母イントレピッドの艦載機の魚雷攻撃や米潜水艦の魚雷攻撃を受けながらも運よく命中せずに、駆逐艦初霜の帰還方向の指示も受けながら何とか4月8日2時半佐世保に到着します。
帰着が遅く既に沈没したものと諦められていた涼月でしたが、生還できたと聞いて冬月のクルーも大喜びだったということです。
冬月は2隻だけになってしまった「第2水雷戦隊 第41駆逐隊」の僚艦です。
しかし、佐世保港について前進に切り替えた事で浸水が進行し始めました!
大急ぎでダグボートを手配しドッグに入渠。
排水を待つことができず、ここで力尽きて着底してしまいました。
既に浸水していた前部弾薬庫の中では火災の誘爆を防ぐ為に自らの命を犠牲にし、内部から防水処理を施した為に窒息した3名のクルーが見つかりました。
この犠牲のおかげで火災が誘爆することなく、他の乗員は生還できたのです。
大破した駆逐艦涼月の修理はされないことが決定され、佐世保に抑留されました。

<1945年 抑留される駆逐艦涼月>
復員艦としても使用されませんでした。
そして、防波堤としてここ響灘を臨む海岸で防波堤として最後の役割を果たしているのです。
<駆逐艦柳(初代)> 桃型駆逐艦

(桃型駆逐艦檜 Wikipediaより抜粋)
駆逐艦柳は1917年5月5日に竣工した全長88m、基準排水量755トン程度の小さな二等駆逐艦です。
前回の記事に書いた通り、遠く地中海まで赴き、第二次大戦でも練習船として戦後まで生き残りました。

よく見ていくと興味深い部分がありました。
<主砲設置個所>

上の写真にある様に艦橋前に単装の主砲が備え付けられています。
その設置個所と思しき個所に上記のような跡が残っていました。
この後ろに艦橋があったと思われます。
<タンブルホーム型の船体>
横からよく見ると船体が喫水線に向かって膨らんでいるのが分かると思います。
この形状をタンブルホームと言います。
確か復元性が良いとかの理由で当時、多く採用されたのだと思います。

私は流体力学とか詳しくはないですが、海面との抵抗を減らす為なのか、波の影響を抑える為か、甲板面積の艦形からか?
駆逐艦睦月型を最後に上部に向かって広がっていく現在の形になっていきます。
逆に駆逐艦睦月型まではタンブルホーム形状でした。
今、開発中のヤマシタホビーさんの駆逐艦睦月はこの再現をされているようです。
発表してから時間がかかっているようですが・・・楽しみです。
以前、神風型駆逐艦春風を作った時にはパテで埋めたりしました。
駆逐艦春風建造日誌
↓
駆逐艦春風建造日誌(駆逐艦神風型)
面白のは最新鋭の技術実証艦 ミサイル駆逐艦ズムウォルト級は波浪貫通タンブルホーム船型を採用しています。

(Wikipediaより)
一周廻ってきた感じがしますよね。
もっとも、ズムウォルトの場合、復元性とかではなく、ステルス性を究極に求めた結果レーダー波を全て空に放射するようにこの様な形状になっている訳ですが・・・
あんまりにもお金が掛かる為か3隻で中止になっています。
日本もDDXなどで検討していた様ですが、別の方向になっているようですね。

船体を上から見ると、外殻が二重構造になっていました。
最初は魚雷移送軌条かなと思ったのですが、移送軌条なら甲板上に据え付けられているだけの様な気がするので違う気がします。
ちょっと詳しいことは分かりません。(なんかの機会に調べてみるかもですが)
<駆逐艦柳 艦尾>

可愛らしいクルーザースターンですね。
<駆逐艦柳から日本海を望む>

この日はとても天気のいい日でした。
(暑かった・・・・)
ここから望む風景は、日本海 響灘、その向こうには対馬、釜山の方向ですか・・・
結構、地の利が悪く少々面倒だなと思いつつ行った軍艦堤防ですが、行って良かったです!
過去に少し思いをはせ、海を眺めるのもいいかも知れません。
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軍艦堤防(聖地巡礼)その1
<駆逐艦涼月>

駆逐艦涼月は駆逐艦秋月型の3番艦です。
同型艦ですが、細かく言うと、秋月と涼月は部分的に若干形状が異なります。
駆逐秋月建造日誌
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フジミ製 駆逐艦秋月建造日誌
でも、写真の初月(4番艦)と涼月(3番艦)はかなり近いのです。
<駆逐艦初月>

<柳の艦首から駆逐艦涼月と駆逐艦冬月の埋められている方向を望む>

軍艦防波堤から涼月、冬月の方向を眺めながら
私は以前、「激闘駆逐艦隊: 萩風・凉月の奮戦記 」(河出文庫)を読んだ時の沖縄特攻からの帰還シーンを思い出したりしていました。
感動的な話ですので簡単に要約しますね。
<駆逐艦涼月の決死の帰還>
1945年4月7日
第一波空襲時に艦橋前に150kg爆弾の直撃を受け、上甲板、側面に大破口が空き、火災も発生しました。
作戦継続不可能と判断した駆逐艦涼月艦長 平山中佐は作戦継続不可能と判断し帰投を決意。
しかしながらジャイロコンパスも海図もほぼ焼失している状態でした。
艦首側は進水。前方傾斜は10度。
前進すると沈んでしまうため、後進9ノットで帰還を目指します。
途中、米空母イントレピッドの艦載機の魚雷攻撃や米潜水艦の魚雷攻撃を受けながらも運よく命中せずに、駆逐艦初霜の帰還方向の指示も受けながら何とか4月8日2時半佐世保に到着します。
帰着が遅く既に沈没したものと諦められていた涼月でしたが、生還できたと聞いて冬月のクルーも大喜びだったということです。
冬月は2隻だけになってしまった「第2水雷戦隊 第41駆逐隊」の僚艦です。
しかし、佐世保港について前進に切り替えた事で浸水が進行し始めました!
大急ぎでダグボートを手配しドッグに入渠。
排水を待つことができず、ここで力尽きて着底してしまいました。
既に浸水していた前部弾薬庫の中では火災の誘爆を防ぐ為に自らの命を犠牲にし、内部から防水処理を施した為に窒息した3名のクルーが見つかりました。
この犠牲のおかげで火災が誘爆することなく、他の乗員は生還できたのです。
大破した駆逐艦涼月の修理はされないことが決定され、佐世保に抑留されました。

<1945年 抑留される駆逐艦涼月>
復員艦としても使用されませんでした。
そして、防波堤としてここ響灘を臨む海岸で防波堤として最後の役割を果たしているのです。
<駆逐艦柳(初代)> 桃型駆逐艦

(桃型駆逐艦檜 Wikipediaより抜粋)
駆逐艦柳は1917年5月5日に竣工した全長88m、基準排水量755トン程度の小さな二等駆逐艦です。
前回の記事に書いた通り、遠く地中海まで赴き、第二次大戦でも練習船として戦後まで生き残りました。

よく見ていくと興味深い部分がありました。
<主砲設置個所>

上の写真にある様に艦橋前に単装の主砲が備え付けられています。
その設置個所と思しき個所に上記のような跡が残っていました。
この後ろに艦橋があったと思われます。
<タンブルホーム型の船体>
横からよく見ると船体が喫水線に向かって膨らんでいるのが分かると思います。
この形状をタンブルホームと言います。
確か復元性が良いとかの理由で当時、多く採用されたのだと思います。

私は流体力学とか詳しくはないですが、海面との抵抗を減らす為なのか、波の影響を抑える為か、甲板面積の艦形からか?
駆逐艦睦月型を最後に上部に向かって広がっていく現在の形になっていきます。
逆に駆逐艦睦月型まではタンブルホーム形状でした。
今、開発中のヤマシタホビーさんの駆逐艦睦月はこの再現をされているようです。
発表してから時間がかかっているようですが・・・楽しみです。
以前、神風型駆逐艦春風を作った時にはパテで埋めたりしました。
駆逐艦春風建造日誌
↓
駆逐艦春風建造日誌(駆逐艦神風型)
面白のは最新鋭の技術実証艦 ミサイル駆逐艦ズムウォルト級は波浪貫通タンブルホーム船型を採用しています。

(Wikipediaより)
一周廻ってきた感じがしますよね。
もっとも、ズムウォルトの場合、復元性とかではなく、ステルス性を究極に求めた結果レーダー波を全て空に放射するようにこの様な形状になっている訳ですが・・・
あんまりにもお金が掛かる為か3隻で中止になっています。
日本もDDXなどで検討していた様ですが、別の方向になっているようですね。

船体を上から見ると、外殻が二重構造になっていました。
最初は魚雷移送軌条かなと思ったのですが、移送軌条なら甲板上に据え付けられているだけの様な気がするので違う気がします。
ちょっと詳しいことは分かりません。(なんかの機会に調べてみるかもですが)
<駆逐艦柳 艦尾>

可愛らしいクルーザースターンですね。
<駆逐艦柳から日本海を望む>

この日はとても天気のいい日でした。
(暑かった・・・・)
ここから望む風景は、日本海 響灘、その向こうには対馬、釜山の方向ですか・・・
結構、地の利が悪く少々面倒だなと思いつつ行った軍艦堤防ですが、行って良かったです!
過去に少し思いをはせ、海を眺めるのもいいかも知れません。
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