艦娘で綴る日本海軍戦艦のまとめ(扶桑型編)
艦船模型を長年ぶりに再開して、少しずつ再学習がてらブログに記事にしていこうと始めたこのシリーズなのですが、戦艦に関してはなぜか金剛型だけで終わっていました。
艦娘で綴る日本帝国海軍戦艦のまとめ、生誕、最後の地
↓
艦娘で綴る日本戦艦の系譜 特に金剛型
一番好きな金剛型で満足しちゃったのですかね~。
太平洋戦争時の日本帝国海軍の戦艦はほとんどがその役割を果たせずに終わりました。
航空機の発達により戦略上のパラダイムシフトが起きてしまったのですね。
金剛型という最も古かった戦艦がその巡洋戦艦という高速を生かしてもっとも活躍できたというのも皮肉ですが、もっとも改装を費やしたにも関わらずほとんど活躍の場がなかったのが扶桑型ではないでしょうか?

<扶桑型スペック()内は山城>
全長:212.75m
常備排水量:39,150トン(38,350トン)
兵装:45口径35.6 cm連装砲6基、50口径15.2 cm単装砲14基、40口径12.7 cm連装高角砲4基、13mm四連装機銃4基、25mm機銃xx基
機関:ロ号艦本式重油専焼缶4基+艦本式オールギヤードタービン4基4軸推進
最大出力:75,000hp、最大速力:24.7ノット
扶桑は1914年3月28日、呉海軍工廠で進水しました。
扶桑型の建造背景は30.5cm砲搭載の弩級戦艦ドレッドノートが1906年に登場し世界に衝撃を与えた後、1912年に34.3cm砲を搭載した英戦艦オライオン級4隻が完成、38.1cm砲搭載のクイーンエリザベス級の計画、アメリカでは35.6cm(14インチ)砲搭載のニューヨーク、テキサスが起工という背景がありました。
35種類の試案の中、36cm連装砲を6基、排水量3万600トン、速力22.5ノットに決定されました。
意外にも扶桑型は竣工時は世界最大最強戦艦だった!
不幸姉妹で知られる扶桑型ですが、意外にも竣工時の上記のスペックは世界最大最強だったのですね。
速力も22.5ノットは当時の米戦艦より2ノット速い速度だったのです。
ただ、無理して多くの兵装を積み込んだものだから、速度が遅いとか、そういったものもあるのですが、防御上も大きな欠点がありました。

<戦艦扶桑 一次改装後> カタパルトを無理に3番砲塔につけたので艦橋が独特の形になりました。
※のちの改装でカタパルトは艦尾へ。砲塔の向きを変えてまで改装したのに無駄に
<扶桑型の大きな欠点>
扶桑型の最大の欠点はバイタルパート(重要防御区域)の防御が弱いに尽きます。
①機関と弾薬庫の配置
見ての通り、主砲を艦全体に配置したことから、機関は3番砲塔と4番砲塔の間に置かれます。
②装甲が薄い
36cm連装砲を6基も積み込んだものだから、総重量を下げる為に装甲に厚みを持たすことができませんでした。
③爆風が艦全体を覆う。
結局この様な配置はダメということですね。
では、艦首に主砲を集中配置したイギリス戦艦ネルソン級はどうかというと、これも結局思うような装甲の減に繋がらなかったり速度も出せずに操艦も難しいという弱点があったようなので、結局がバランスがいいのが一番ということかな。
私は扶桑型は思い切って三番、四番砲塔を外して機関の出力を上げ速度を上げた方が良かったんじゃないだろうか?と思ったりします。(船体構造的に難しいのかな?) ⇒ 巡洋戦艦扶桑、山城てな感じで
※そんな計画はなかったけど
でも航空戦艦にするという案はありました。だから艦これでの扶桑改二、山城改二は計画ではあったものです。
<扶桑型戦艦の最期>
扶桑型は真珠湾の出迎え出撃の後は全くと言ってよいくらい出撃の機会がありませんでしたが、かのレイテ沖海戦で西村艦隊旗艦山城、扶桑を含む7隻だけでスリガオ海峡の突入。
待ち伏せ攻撃にあい、最初に魚雷艇、駆逐艦の派重攻撃による夜襲で扶桑が弾薬庫による被雷による火災で三番、四番砲塔の弾薬庫に火が付き爆発、真っ二つに船体が裂け轟沈。

山城は米旧式戦艦6隻の猛攻を受け、轟沈しまいした。
しかし、アメリカ戦艦群の発射した主砲砲弾は272発、重巡、軽巡などの8、6インチ砲は3000発以上ということですので壮絶の一言です。
山城はこれらの攻撃にもしばらく耐え、結局魚雷4発を受け沈んだ訳ですが、近代化改装による装甲のアップは無駄ではなかったということかも知れません。
ご存知の通り、この戦いで西村艦隊は雪風と並んで称される幸運艦の駆逐艦時雨以外は全滅しました。
時雨はこの時、魚雷が船底の下を通って当たらないという幸運に恵まれていることから真の幸運艦と言えますね。
<戦艦山城のちょっと華々しい出来事>

不幸姉妹と言いますが、戦艦山城は1928年から1年間だけ連合艦隊旗艦になったり、たびたび観艦式に参加したり、中でも1940年紀元2600年特別観艦式に参加したりと何となく華々しい時期があったんですよね。
なかなかいい時期を見つけられない真の不幸艦扶桑ですが、その独特の艦橋の形状で艦船模型でも人気のある戦艦ということではちょっとだけ美味しいかも知れません。
いつになるか分かりませんが戦艦扶桑型も模型を手掛けてみたいです。
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艦船模型を長年ぶりに再開して、少しずつ再学習がてらブログに記事にしていこうと始めたこのシリーズなのですが、戦艦に関してはなぜか金剛型だけで終わっていました。
艦娘で綴る日本帝国海軍戦艦のまとめ、生誕、最後の地
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艦娘で綴る日本戦艦の系譜 特に金剛型
一番好きな金剛型で満足しちゃったのですかね~。
太平洋戦争時の日本帝国海軍の戦艦はほとんどがその役割を果たせずに終わりました。
航空機の発達により戦略上のパラダイムシフトが起きてしまったのですね。
金剛型という最も古かった戦艦がその巡洋戦艦という高速を生かしてもっとも活躍できたというのも皮肉ですが、もっとも改装を費やしたにも関わらずほとんど活躍の場がなかったのが扶桑型ではないでしょうか?

<扶桑型スペック()内は山城>
全長:212.75m
常備排水量:39,150トン(38,350トン)
兵装:45口径35.6 cm連装砲6基、50口径15.2 cm単装砲14基、40口径12.7 cm連装高角砲4基、13mm四連装機銃4基、25mm機銃xx基
機関:ロ号艦本式重油専焼缶4基+艦本式オールギヤードタービン4基4軸推進
最大出力:75,000hp、最大速力:24.7ノット
扶桑は1914年3月28日、呉海軍工廠で進水しました。
扶桑型の建造背景は30.5cm砲搭載の弩級戦艦ドレッドノートが1906年に登場し世界に衝撃を与えた後、1912年に34.3cm砲を搭載した英戦艦オライオン級4隻が完成、38.1cm砲搭載のクイーンエリザベス級の計画、アメリカでは35.6cm(14インチ)砲搭載のニューヨーク、テキサスが起工という背景がありました。
35種類の試案の中、36cm連装砲を6基、排水量3万600トン、速力22.5ノットに決定されました。
意外にも扶桑型は竣工時は世界最大最強戦艦だった!
不幸姉妹で知られる扶桑型ですが、意外にも竣工時の上記のスペックは世界最大最強だったのですね。
速力も22.5ノットは当時の米戦艦より2ノット速い速度だったのです。
ただ、無理して多くの兵装を積み込んだものだから、速度が遅いとか、そういったものもあるのですが、防御上も大きな欠点がありました。

<戦艦扶桑 一次改装後> カタパルトを無理に3番砲塔につけたので艦橋が独特の形になりました。
※のちの改装でカタパルトは艦尾へ。砲塔の向きを変えてまで改装したのに無駄に
<扶桑型の大きな欠点>
扶桑型の最大の欠点はバイタルパート(重要防御区域)の防御が弱いに尽きます。
①機関と弾薬庫の配置
見ての通り、主砲を艦全体に配置したことから、機関は3番砲塔と4番砲塔の間に置かれます。
②装甲が薄い
36cm連装砲を6基も積み込んだものだから、総重量を下げる為に装甲に厚みを持たすことができませんでした。
③爆風が艦全体を覆う。
結局この様な配置はダメということですね。
では、艦首に主砲を集中配置したイギリス戦艦ネルソン級はどうかというと、これも結局思うような装甲の減に繋がらなかったり速度も出せずに操艦も難しいという弱点があったようなので、結局がバランスがいいのが一番ということかな。
私は扶桑型は思い切って三番、四番砲塔を外して機関の出力を上げ速度を上げた方が良かったんじゃないだろうか?と思ったりします。(船体構造的に難しいのかな?) ⇒ 巡洋戦艦扶桑、山城てな感じで
※そんな計画はなかったけど
でも航空戦艦にするという案はありました。だから艦これでの扶桑改二、山城改二は計画ではあったものです。
<扶桑型戦艦の最期>
扶桑型は真珠湾の出迎え出撃の後は全くと言ってよいくらい出撃の機会がありませんでしたが、かのレイテ沖海戦で西村艦隊旗艦山城、扶桑を含む7隻だけでスリガオ海峡の突入。
待ち伏せ攻撃にあい、最初に魚雷艇、駆逐艦の派重攻撃による夜襲で扶桑が弾薬庫による被雷による火災で三番、四番砲塔の弾薬庫に火が付き爆発、真っ二つに船体が裂け轟沈。

山城は米旧式戦艦6隻の猛攻を受け、轟沈しまいした。
しかし、アメリカ戦艦群の発射した主砲砲弾は272発、重巡、軽巡などの8、6インチ砲は3000発以上ということですので壮絶の一言です。
山城はこれらの攻撃にもしばらく耐え、結局魚雷4発を受け沈んだ訳ですが、近代化改装による装甲のアップは無駄ではなかったということかも知れません。
ご存知の通り、この戦いで西村艦隊は雪風と並んで称される幸運艦の駆逐艦時雨以外は全滅しました。
時雨はこの時、魚雷が船底の下を通って当たらないという幸運に恵まれていることから真の幸運艦と言えますね。
<戦艦山城のちょっと華々しい出来事>

不幸姉妹と言いますが、戦艦山城は1928年から1年間だけ連合艦隊旗艦になったり、たびたび観艦式に参加したり、中でも1940年紀元2600年特別観艦式に参加したりと何となく華々しい時期があったんですよね。
なかなかいい時期を見つけられない真の不幸艦扶桑ですが、その独特の艦橋の形状で艦船模型でも人気のある戦艦ということではちょっとだけ美味しいかも知れません。
いつになるか分かりませんが戦艦扶桑型も模型を手掛けてみたいです。
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