艦これ版聖地巡礼決定版(呉周辺その1 周辺地図、青葉、利根、古鷹)
夏ごろの訪問記事を今すでに秋ごろに書いている訳ですが、ブログを書いている以上ここは外せないと思っております。
護衛艦かがの乗船レポート
↓
護衛艦かが乗船レポート
※一般参加ではなく、個人的にお願いした乗船だったので結構細かいところまで見させていただきました。
大和ミュージアム詳細レポート
↓
大和ミュージアムレポート2017
などもお時間がある時に御覧下さい。
さて、大和ミュージアムを見学した後は、せっかく艦船好きな面々が集まったので、呉市周辺の艦船にまつわる地を訪問する流れになりました。
今回のレポートは相当マニアックです。
何しろ、広島で育ち、度々呉や江田島や能美島に遊びに遊びに行ったことがある私でさえ初めて行く場所が多いのです。
<呉市周辺 艦船にまつわる聖地巡礼地図>

こちらは利根記念館の中にあった相当古い新聞の切り抜き記事です。
名前を青丸で囲ったのが今回訪問した地です。
大戦末期すでに日本には軍艦を動かせる燃料は枯渇していました。
戦艦長門の終戦時には煙突が撤去されていたくらいです。
呉の周辺には各艦が分散して対空砲台として配置されており、満身創痍になりながらも最後まで頑張り抜いたのです。
昭和20年3月19日、7月24日、7月28日と三度にわたる空襲が行われて多くの船が大破着底しました。
それが上の図なのですが、もう少し分かりやすく地図に乗せたのが下の図です。

まずは、「巡洋艦青葉終焉之地」と書かれた記念碑に行きました。

当時各艦は、上空からできるだけ身を隠すように草木でカモフラージュしていたのですが、上空からはバレバレだった様で「見えてますよ」ってなビラも撒かれたそうです。
重巡青葉は7月24日、28日の空襲で大破着底しました。

上空に主砲を向けたまま大破着底した重巡青葉は何を思っていたのでしょう。

※sachisfactoryさんのイラスト

場所は国道31号沿い、呉駅から音戸の大橋に向かう車で15分くらい?の場所です。
Google地図でも乗っている場所なのですが、ちょっと分かりにくい場所なので近くにいったら注意してみて下さい。
呉駅から途中「大和ドッグ」(大和が作られたドッグ、勝手にそう呼んでます。)や「アレイからすこじま公園」で海上自衛隊の潜水艦が見られるポイントもありますからそちらも楽しんでください。

重巡青葉には元乗員だった中曽根元首相が中心になって建てられたそうです。
この記念碑は2012年5月28日に除幕式が行われた様なのでつい最近のことですね。

次に向かった地は「利根資料館」です!

江田島市能美町中町水野元4218-12
こじんまりとした記念館です。個人で管理されているようですのでご苦労されていると思います。
(その後、改修されているようですので見てみたいものです)
以前は能美海上ロッジという温泉も宿泊もできる施設の前にありました。
現在もその場所にあるのは変わらないのですが、すでに能美海上ロッジはつぶれてました。
私のつれの一人はつい最近この能美島ロッジの温泉に入ったらしく、驚いていました。
私も少し温泉に入れるのを楽しみにしていたんですけど・・・。
重巡利根は言わずとしれた航空巡洋艦です。
昭和20年7月28日の空襲で翌日29日に大破着底しました。

航空巡洋艦利根は何かと謂れがありますよね。ミッドウェーでカタパルトが故障して偵察機の発進が遅れ発見が遅れたことが敗因だとか、そもそも時間通り発進したら発見することもできなかったのでは?とか。
レイテ沖海戦ではあの鬼才黛大佐が艦長でした。水上機母艦秋津洲の秋津洲流戦闘航海術を編み出された方です。
水上機母艦秋津洲の紹介はこちら
↓
水上機母艦秋津洲建造日誌

艦娘利根ちゃんの中破絵。
あまりの可愛さに画像が大きくなっちゃいました。
資料館は開いていますが、受付の方とかはいません。
一声かけて入ります。
クーラーはなく、夏だったんでめっちゃめちゃ暑かったのを覚えてます。(;''∀'')

資料館に入った入り口には江田島市がつくったと思われる知らないキャラクターがお出迎えです。
製作は2016年の様なのでつい最近です。
名前は不明?
⇒気になるのでネット上で調べまくったら(10分くらい)分かりました。
「兵姫ストライク」というのは、ゲームでもないし、アプリも終了したみたいだし、「コンテンツ」のスタンプラリーをしていたみたいです。
なのでこの娘のキャラクターも
⇒「兵姫ストライク 重巡利根」のキャラクターです。
首の周りにスカーフの様なものが巻いています。
なんとなく、そこに愛を感じました。
同時に、人知れずたたずんでいるこの娘に寂しさを感じました。
私のこころだけには残しておくよ。・・・うん。
どうやら、恐らくこの企画は失敗したようですね。
それなりに関心度の高い私でも知りませんでしたし。
アプリはすでに終了してます。
この様なキャラクターで盛り上げようという企画は、相当難しいのですよね。
キャラクターは作れば終わりと言うものではなく、どう人に共感して受け入れられていくかが簡単ではないですよね。
ゲームやコミック、ラノベとの連動もなかったようですし。
大洗の聖地化を考えると「ガルパン」位の完成度の高さ、共感力のあるコンテンツがあって初めて成立するのだと思います。
予算もあると思いますが、艦これとコラボできてたら全然違ったかも?
まあ、予算とか色々事情はあったと思いますが。
能美島ロッジがつぶれた時期とかこの企画の時期とか考えると、結構、能美島ロッジの方もこの企画にかけていたのではないでしょうか?
何か寂しさを覚えます・・・。
もしかしたら、大和ミュージアムの直ぐ近くの売店にいた明石のキャラクターもこの「兵姫ストライク」のキャラだったのでしょうか?

中は一部屋。大きな利根の模型とまつわる品々の数々。
利根資料館の横は瀬戸内海の非常にきれいな海と海岸です。
そして、そこから見える山が「古鷹山」です!

私は出身は広島ですが、夏は結構、江田島や能美島の海で泳いでいたんですよね。
懐かしいなあ~。
(もう何年も海で泳いでない・・・)

右から重巡古鷹、加古、衣笠の第一次ソロモン海戦の第八艦隊の面々です。
この右側に天竜、左側に鳥海と青葉が続きます。
重巡古鷹の名前は江田島の海軍兵学校のすぐそばにある古鷹山が由来になっています。
レポートは次回に続きます。
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今回のレポートは相当マニアックです。
何しろ、広島で育ち、度々呉や江田島や能美島に遊びに遊びに行ったことがある私でさえ初めて行く場所が多いのです。
<呉市周辺 艦船にまつわる聖地巡礼地図>

こちらは利根記念館の中にあった相当古い新聞の切り抜き記事です。
名前を青丸で囲ったのが今回訪問した地です。
大戦末期すでに日本には軍艦を動かせる燃料は枯渇していました。
戦艦長門の終戦時には煙突が撤去されていたくらいです。
呉の周辺には各艦が分散して対空砲台として配置されており、満身創痍になりながらも最後まで頑張り抜いたのです。
昭和20年3月19日、7月24日、7月28日と三度にわたる空襲が行われて多くの船が大破着底しました。
それが上の図なのですが、もう少し分かりやすく地図に乗せたのが下の図です。

まずは、「巡洋艦青葉終焉之地」と書かれた記念碑に行きました。

当時各艦は、上空からできるだけ身を隠すように草木でカモフラージュしていたのですが、上空からはバレバレだった様で「見えてますよ」ってなビラも撒かれたそうです。
重巡青葉は7月24日、28日の空襲で大破着底しました。

上空に主砲を向けたまま大破着底した重巡青葉は何を思っていたのでしょう。

※sachisfactoryさんのイラスト

場所は国道31号沿い、呉駅から音戸の大橋に向かう車で15分くらい?の場所です。
Google地図でも乗っている場所なのですが、ちょっと分かりにくい場所なので近くにいったら注意してみて下さい。
呉駅から途中「大和ドッグ」(大和が作られたドッグ、勝手にそう呼んでます。)や「アレイからすこじま公園」で海上自衛隊の潜水艦が見られるポイントもありますからそちらも楽しんでください。

重巡青葉には元乗員だった中曽根元首相が中心になって建てられたそうです。
この記念碑は2012年5月28日に除幕式が行われた様なのでつい最近のことですね。

次に向かった地は「利根資料館」です!

江田島市能美町中町水野元4218-12
こじんまりとした記念館です。個人で管理されているようですのでご苦労されていると思います。
(その後、改修されているようですので見てみたいものです)
以前は能美海上ロッジという温泉も宿泊もできる施設の前にありました。
現在もその場所にあるのは変わらないのですが、すでに能美海上ロッジはつぶれてました。
私のつれの一人はつい最近この能美島ロッジの温泉に入ったらしく、驚いていました。
私も少し温泉に入れるのを楽しみにしていたんですけど・・・。
重巡利根は言わずとしれた航空巡洋艦です。
昭和20年7月28日の空襲で翌日29日に大破着底しました。

航空巡洋艦利根は何かと謂れがありますよね。ミッドウェーでカタパルトが故障して偵察機の発進が遅れ発見が遅れたことが敗因だとか、そもそも時間通り発進したら発見することもできなかったのでは?とか。
レイテ沖海戦ではあの鬼才黛大佐が艦長でした。水上機母艦秋津洲の秋津洲流戦闘航海術を編み出された方です。
水上機母艦秋津洲の紹介はこちら
↓
水上機母艦秋津洲建造日誌

艦娘利根ちゃんの中破絵。
あまりの可愛さに画像が大きくなっちゃいました。
資料館は開いていますが、受付の方とかはいません。
一声かけて入ります。
クーラーはなく、夏だったんでめっちゃめちゃ暑かったのを覚えてます。(;''∀'')

資料館に入った入り口には江田島市がつくったと思われる知らないキャラクターがお出迎えです。
製作は2016年の様なのでつい最近です。
名前は不明?
⇒気になるのでネット上で調べまくったら(10分くらい)分かりました。
「兵姫ストライク」というのは、ゲームでもないし、アプリも終了したみたいだし、「コンテンツ」のスタンプラリーをしていたみたいです。
なのでこの娘のキャラクターも
⇒「兵姫ストライク 重巡利根」のキャラクターです。
首の周りにスカーフの様なものが巻いています。
なんとなく、そこに愛を感じました。
同時に、人知れずたたずんでいるこの娘に寂しさを感じました。
私のこころだけには残しておくよ。・・・うん。
どうやら、恐らくこの企画は失敗したようですね。
それなりに関心度の高い私でも知りませんでしたし。
アプリはすでに終了してます。
この様なキャラクターで盛り上げようという企画は、相当難しいのですよね。
キャラクターは作れば終わりと言うものではなく、どう人に共感して受け入れられていくかが簡単ではないですよね。
ゲームやコミック、ラノベとの連動もなかったようですし。
大洗の聖地化を考えると「ガルパン」位の完成度の高さ、共感力のあるコンテンツがあって初めて成立するのだと思います。
予算もあると思いますが、艦これとコラボできてたら全然違ったかも?
まあ、予算とか色々事情はあったと思いますが。
能美島ロッジがつぶれた時期とかこの企画の時期とか考えると、結構、能美島ロッジの方もこの企画にかけていたのではないでしょうか?
何か寂しさを覚えます・・・。
もしかしたら、大和ミュージアムの直ぐ近くの売店にいた明石のキャラクターもこの「兵姫ストライク」のキャラだったのでしょうか?

中は一部屋。大きな利根の模型とまつわる品々の数々。
利根資料館の横は瀬戸内海の非常にきれいな海と海岸です。
そして、そこから見える山が「古鷹山」です!

私は出身は広島ですが、夏は結構、江田島や能美島の海で泳いでいたんですよね。
懐かしいなあ~。
(もう何年も海で泳いでない・・・)

右から重巡古鷹、加古、衣笠の第一次ソロモン海戦の第八艦隊の面々です。
この右側に天竜、左側に鳥海と青葉が続きます。
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