戦艦大和の最期
第一次世界大戦における世界最大の海戦であるジュトランド沖海戦の主役は戦艦でした。
しかし、たった25年後の太平洋戦争ではその主役が変わることになったのです。

<あくまでも艦船プラモデルブログなので>
フジミ製 艦NEXT戦艦大和建造日誌はこちら
↓
戦艦大和建造日誌
太平洋戦争の開始した真珠湾攻撃の月、1941年12月16日に大和は就役しました。
ほんの一週間前の12月8日に日本海軍が真珠湾攻撃で航空機の有効性を証明して見せ、図らずしも戦艦時代の終焉、航空機時代の幕開け(当時の日米海軍に明確な自覚はなかったにしろ)になってしまったことは、戦艦大和によって皮肉としか言いようがない気がします。
<戦艦大和>
大和型戦艦3番艦の予定だった空母信濃の名前や信濃を除けば最大の空母だった空母赤城などの名前を知らない人でも戦艦大和の名前を知っている方は多いでしょう。
基準排水量 64000トン
全長 263m
全幅 38.9m
出力 15万hp
速力 27ノット
主砲45口径46cm三連装砲塔×3基、副砲60口径15.5cm三連装砲塔×2基
おそらく、艦船模型ファンの多くは戦艦大和を作ったことがあるか、作ってみたいなんて思うのではないかと思います。
実際、私が初めて戦艦大和を作ったのは、子供の頃、田舎の祖母の家に行ったときにたぶん暇そうにしてたのでしょうか?
お祭りの縁日で親戚のおじさんが戦艦大和のプラモデルを買ってくれたのが出会いでした。
この時が、私の艦船プラモデルの初めてになります。
タミヤだったのとフルハルだったのは覚えています。
何しろ、親戚のおじさんも素人同然で、一緒に買ってくれた接着剤がアロンαですよ。
おかげで作るのは相当苦労しました。(たぶんベタベタになっていたと思います)
しかし、それからだと思います。
艦船プラモデルが好きになったのは!
(しかし、中学・高校とウォーターラインシリーズは軒並み揃えましたが、高校生のいつの頃からか忘れさっていたんですね。艦これに影響されて再開する最近まで)
そして、戦艦大和を作った方は手持ちの艦船模型でこの様な比較をしてみたりしてますよね!

一緒に並べた船は私の趣味です。
全て建造日誌があるので時間と興味のある方はぜひご覧ください。
竣工時の戦艦長門の基準排水量の約2倍、全長は戦艦長門が約216mなので、約50mの差です。
意外と私は二式大艇の大きさにビックリしたのですが、どうでしょうか?
(全長28m、全幅38m)
閑話休題
世界最大の45口径46cm砲を持つ戦艦大和は、最後はその主砲を一発も打つことなく鹿児島 坊ノ岬沖に沈みました。
アメリカの空母11隻、実際に攻撃に参加した米軍機機数309機で、まさに飽和攻撃と言って良いでしょう。
被弾数はアメリカと日本で大きく数字が異なっています。
日本側の記録だと魚雷11本前後、爆弾3-5発、アメリカ側の記録だと魚雷33本から35本、爆弾38発命中。

※<大日本絵画 世界の銘艦ヒストリア>2017年6月19日発行より出展
攻撃側の数字が多いのはどこの国でも一緒です。
実際はこの間といったとこかも知れません。
そして、大艦巨砲主義の時代の終焉を象徴するように沈んでいきました。
以前は広島に住んでおり、たびたび大和のドッグの横を家族と車で走っていたこともあって、戦艦大和には大きな愛着があったのですが、当時私が持っていた本(古すぎて忘れましたが)には魚雷7本、爆弾13発が命中して沈んだと書いていた様に記憶しています(記憶間違いの可能性が十分ありますけど)。
戦艦武蔵に比べても如何にもあっさりした最後だし、何より米飛行機を撃墜した機数はわずか5機!
ハリネズミの様に武装して、たったこれだけ!
なんて、こどものころは正直失望してしまいました。
そういった思いが歴史ifなんかを想像させていたりしたんですけど。
もし、大和が出撃していたら活躍したかもを考えてみました!
(Ⅰ)第三次ソロモン海戦出撃編
↓
戦艦大和!第三次ソロモン海戦に出撃す!
(Ⅱ)沖縄特攻米艦隊との決戦
↓
ジオラマ風写真で再現する戦艦大和の決戦!
しかし、沖縄特攻は状況からすると戦艦大和にとっては最悪の状況でした。
上の(Ⅱ)でも書いていますが、囮の様に使われ、敵航空機が跋扈するなか、白昼堂々の進軍!
さらに天気も最悪で曇天で低い雲が垂れ込める中、急降下爆撃機にも雷撃機にも好都合でした。
なので、大和は主砲を打たずに攻撃を受けることになります。
しかし、近年、評価の低かった日本の対空射撃にも多少の改善があったようです。
米軍の攻撃参加機309機、撃墜数5機、事故で墜落1機、被弾数52機(うち5機は海上投棄、1機着水)。
被弾率約19%で5機のうち1機が被弾したことになります。
って言っても米軍機のその丈夫さ、優秀さを再確認するだけなんですけどネ!
もちろん、戦後の造船技術の発展に大いに貢献したとか、世界に誇る巨艦を1854年に開国してからわずか87年後に作るところまでこぎ着けたということは素晴らしいことです。
当時の国内総生産の4%(記憶違いならすいません)も使用して作り上げた大いなる無駄だったかも知れませんが、当時は軍事機密だったこともあり、むしろ現代の方が愛されている船ではないかと思います。
だから、呉の大和ミュージアムも来館者数があっと言うまに増えたんでしょうね。
大和ミュージアムの詳細レポート
↓
大和ミュージアムをぐるっと紹介!
今年は、2016年5月の潜水調査の記録や結果も特別展で展示しているはずです。
(お盆に実家に帰った時には立ち寄る予定です)
私もやっぱり、戦艦大和が好きなんですよね!
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第一次世界大戦における世界最大の海戦であるジュトランド沖海戦の主役は戦艦でした。
しかし、たった25年後の太平洋戦争ではその主役が変わることになったのです。

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戦艦大和建造日誌
太平洋戦争の開始した真珠湾攻撃の月、1941年12月16日に大和は就役しました。
ほんの一週間前の12月8日に日本海軍が真珠湾攻撃で航空機の有効性を証明して見せ、図らずしも戦艦時代の終焉、航空機時代の幕開け(当時の日米海軍に明確な自覚はなかったにしろ)になってしまったことは、戦艦大和によって皮肉としか言いようがない気がします。
<戦艦大和>
大和型戦艦3番艦の予定だった空母信濃の名前や信濃を除けば最大の空母だった空母赤城などの名前を知らない人でも戦艦大和の名前を知っている方は多いでしょう。
基準排水量 64000トン
全長 263m
全幅 38.9m
出力 15万hp
速力 27ノット
主砲45口径46cm三連装砲塔×3基、副砲60口径15.5cm三連装砲塔×2基
おそらく、艦船模型ファンの多くは戦艦大和を作ったことがあるか、作ってみたいなんて思うのではないかと思います。
実際、私が初めて戦艦大和を作ったのは、子供の頃、田舎の祖母の家に行ったときにたぶん暇そうにしてたのでしょうか?
お祭りの縁日で親戚のおじさんが戦艦大和のプラモデルを買ってくれたのが出会いでした。
この時が、私の艦船プラモデルの初めてになります。
タミヤだったのとフルハルだったのは覚えています。
何しろ、親戚のおじさんも素人同然で、一緒に買ってくれた接着剤がアロンαですよ。
おかげで作るのは相当苦労しました。(たぶんベタベタになっていたと思います)
しかし、それからだと思います。
艦船プラモデルが好きになったのは!
(しかし、中学・高校とウォーターラインシリーズは軒並み揃えましたが、高校生のいつの頃からか忘れさっていたんですね。艦これに影響されて再開する最近まで)
そして、戦艦大和を作った方は手持ちの艦船模型でこの様な比較をしてみたりしてますよね!

一緒に並べた船は私の趣味です。
全て建造日誌があるので時間と興味のある方はぜひご覧ください。
竣工時の戦艦長門の基準排水量の約2倍、全長は戦艦長門が約216mなので、約50mの差です。
意外と私は二式大艇の大きさにビックリしたのですが、どうでしょうか?
(全長28m、全幅38m)
閑話休題
世界最大の45口径46cm砲を持つ戦艦大和は、最後はその主砲を一発も打つことなく鹿児島 坊ノ岬沖に沈みました。
アメリカの空母11隻、実際に攻撃に参加した米軍機機数309機で、まさに飽和攻撃と言って良いでしょう。
被弾数はアメリカと日本で大きく数字が異なっています。
日本側の記録だと魚雷11本前後、爆弾3-5発、アメリカ側の記録だと魚雷33本から35本、爆弾38発命中。

※<大日本絵画 世界の銘艦ヒストリア>2017年6月19日発行より出展
攻撃側の数字が多いのはどこの国でも一緒です。
実際はこの間といったとこかも知れません。
そして、大艦巨砲主義の時代の終焉を象徴するように沈んでいきました。
以前は広島に住んでおり、たびたび大和のドッグの横を家族と車で走っていたこともあって、戦艦大和には大きな愛着があったのですが、当時私が持っていた本(古すぎて忘れましたが)には魚雷7本、爆弾13発が命中して沈んだと書いていた様に記憶しています(記憶間違いの可能性が十分ありますけど)。
戦艦武蔵に比べても如何にもあっさりした最後だし、何より米飛行機を撃墜した機数はわずか5機!
ハリネズミの様に武装して、たったこれだけ!
なんて、こどものころは正直失望してしまいました。
そういった思いが歴史ifなんかを想像させていたりしたんですけど。
もし、大和が出撃していたら活躍したかもを考えてみました!
(Ⅰ)第三次ソロモン海戦出撃編
↓
戦艦大和!第三次ソロモン海戦に出撃す!
(Ⅱ)沖縄特攻米艦隊との決戦
↓
ジオラマ風写真で再現する戦艦大和の決戦!
しかし、沖縄特攻は状況からすると戦艦大和にとっては最悪の状況でした。
上の(Ⅱ)でも書いていますが、囮の様に使われ、敵航空機が跋扈するなか、白昼堂々の進軍!
さらに天気も最悪で曇天で低い雲が垂れ込める中、急降下爆撃機にも雷撃機にも好都合でした。
なので、大和は主砲を打たずに攻撃を受けることになります。
しかし、近年、評価の低かった日本の対空射撃にも多少の改善があったようです。
米軍の攻撃参加機309機、撃墜数5機、事故で墜落1機、被弾数52機(うち5機は海上投棄、1機着水)。
被弾率約19%で5機のうち1機が被弾したことになります。
って言っても米軍機のその丈夫さ、優秀さを再確認するだけなんですけどネ!
もちろん、戦後の造船技術の発展に大いに貢献したとか、世界に誇る巨艦を1854年に開国してからわずか87年後に作るところまでこぎ着けたということは素晴らしいことです。
当時の国内総生産の4%(記憶違いならすいません)も使用して作り上げた大いなる無駄だったかも知れませんが、当時は軍事機密だったこともあり、むしろ現代の方が愛されている船ではないかと思います。
だから、呉の大和ミュージアムも来館者数があっと言うまに増えたんでしょうね。
大和ミュージアムの詳細レポート
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大和ミュージアムをぐるっと紹介!
今年は、2016年5月の潜水調査の記録や結果も特別展で展示しているはずです。
(お盆に実家に帰った時には立ち寄る予定です)
私もやっぱり、戦艦大和が好きなんですよね!
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