「艦これ4周年」にちなんで「艦これ」での艦隊決戦について考えてみました。

2013年4月23日が「艦これ」こと「艦隊コレクション」の正規サービス開始日ということで
明日、4月23日で艦これ4周年!になるそうです。
艦これ4周年!おめでとうございます!
各社、ブラウザーゲーム、スマホゲームと新規サービスを続々出る中、生き残るのは本当に至難の業だと思います。
私に関して言えば、そのベースに軍艦好きというのがあり、新規のゲームに早々手を出すでもない訳で(そもそも艦これの時間をねん出するだけで精一杯)
これからも応援していきます!
ところで、4周年ということで「艦これ」に関する事で戦史を交えて考察してみようかと思います。
あくまでも、研究者でもなく、ただの軍艦好き、艦これ好きが土曜日の朝にふらっと考えてみた程度のよもやま話なので、内容の質についてはご容赦を!
テーマは<「艦これ」における戦闘の順番について>なのです!
<艦これの戦闘方法(順番)>
艦これの戦闘順番は大まかには下記の様になります。
A:航空機による偵察
↓
B:航空戦(制空権の決定)
↓
C:(先制対潜攻撃)
↓
D:開幕雷撃
↓
E:交戦形態の表示
↓
F:砲撃戦(条件により2順)
↓
G:雷撃戦
↓
H:戦闘終了又は夜戦実行の選択
↓
I:夜戦
実戦では当然、この様な順番になることはありませんでした。
序盤戦こそ、巡洋艦や駆逐艦どうしの夜戦を中心とした砲撃戦、水雷戦がありました。
ソロモン海戦くらいまでは、磨き上げてきた夜戦で戦果も挙げました!
↓
劇場版艦これの舞台アイアンボトムサウンドにおける戦いを戦史を交えて解説
<第一水雷戦隊>
旗艦阿武隈+第六駆逐隊+時雨(第二七駆逐隊)

艦娘で綴る水雷戦隊のまとめ
↓
艦娘で綴る水雷戦隊まとめ・旗艦と編成駆逐隊
しかし、日本海軍が真珠湾攻撃で航空機が戦艦を大量にを沈める。
更には、マレー沖海戦で全速で航行する英国きっての戦艦2隻を沈めてしまうことで
航空戦力の優位性を完全に証明する形になってしまいました!
考えれば当然の流れです。過去から人類はこん棒→やり→弓矢→鉄砲→大砲→航空機(ミサイル)とできるだけ遠くから如何に味方の被害が少なく一方的にたたく技術を進歩させてきた訳ですから。
その結果、太平洋戦争の艦隊戦も一気に航空戦力による戦闘に移行していきます。
以後、水上戦力(特に戦艦)は打撃力として、あまり機能することがなくなって行きました。
こちらは、任務「精鋭「第二航空戦隊」抜描せよ!」でリランカ島急襲任務での編成です。

2航戦の二人が中心の艦隊構成なのですが、S勝利を取るには、戦艦の存在が重要になってきます。
しかも、潜水艦がラスボス艦隊にもいるので駆逐艦による対潜装備も怠ることができません。
※未だに達成していない任務が多くて・・・・

では艦これでのこの様な戦闘順番は何をモチーフにしたのか?
もちろん、毎回空母決戦だと面白くないし、戦艦も空母も巡洋艦も駆逐艦も潜水艦も等しく活躍してくれないとゲームとしてなりたたないからなんですが。
それでもモチーフがある様に思います。
それが<日本帝国海軍が理想とした艦隊決戦の在り方>だったのではないかと。
アメリカ戦略研究家 「アルフレッド・セイヤー・マハン」が「海上権力史論」の中で提唱した
「大艦巨砲主義」
「集中の鉄則」
「一度の決戦による敵艦隊の撃滅」
これを最も決定的に実行したのは、日露戦争における日本海海戦での日本海軍のバルチック艦隊の撃滅だと思います。
このマハンの「海上権力史論」をバイブルとした国が日本海軍であり、アメリカ海軍でした。
そして、そこから発展させた日本帝国海軍の基本戦略が
「漸減邀撃作戦」となって行きました。
遠く、アメリカ大陸から日本への遠征の過程で徐々に戦力を削り決戦でけりをつける。
日本の戦闘思想は下記の様なものだと考えられます
①いち早く航空機による敵の確認(A)
②制空権確保の中(B)
③潜水艦による襲撃で戦力をダウンさせつつ混乱させ(D)
④戦艦による主力艦隊決戦で撃滅(F)
⑤とどめは雷撃(G)
⑥さらに戦力が残っている時には夜戦に持ち込む(I)
正に「艦これ」の順番は、旧帝国海軍が軍令部と中心に長らく練ってきた戦法な訳です。
その培ってきた思想を一気に覆したのが航空戦力の発達です。
その結果、①、②から④にいってその主役は空母と艦載機そして⑤と⑥は省略になって行きました。
日本において航空戦力化を進めていたのが異端児であり天才とよべる山本五十六でした。
真珠湾で戦果を挙げた時に、皆が歓声を上げる中、山本五十六元帥はムスッとした顔をしていたと言います。
航空時代が来ることを予測し、1932年(昭和9年)にいち早く海軍航空技術廠を立ち上げ、世界最初の空母を完成させる程、先が見える元帥の目にはこれからの海戦が空母による航空戦になり、大量の航空機が勝敗を分ける、海戦が物量戦になることが見えていたのでしょう。
そして物量と生産力が圧倒的に勝るアメリカに対して(当時の国力差で18倍とも更に差があったとも言います)勝ち目がないことを予測していたのかも知れません。
日本海軍が大艦巨砲主義に固執し航空戦力の増強を怠った訳ではありません。できることはほぼやっていたと思います。
この話を書き出すと何ページにもなってしまうので後日にするとして、生産能力、工業力がとてつもなく差があったのです。

ともかく、「艦これ」4周年おめでとうございます!
これからも盛り上げて行きましょう!
17年春イベを楽しみにしております。
新艦娘は何でしょうかね。護衛空母雲鷹又は大鷹は鉄板として、
護衛空母の系譜・誕生年・没年
↓
護衛空母に日の当たる日が来るとは!
逆に通商破壊に主に従事したドイツ艦?
ドイッチュラント級ポケット戦艦のアドミラル・グラーフ・シュッペー?なんかもいいなあ。
名前の由来である「マクシミリアン・フォン・シュッペー」は青島を根拠地にしたドイツ東洋艦隊の提督でした。
長文最後までお付き合いありがとうございました!
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明日、4月23日で艦これ4周年!になるそうです。
艦これ4周年!おめでとうございます!
各社、ブラウザーゲーム、スマホゲームと新規サービスを続々出る中、生き残るのは本当に至難の業だと思います。
私に関して言えば、そのベースに軍艦好きというのがあり、新規のゲームに早々手を出すでもない訳で(そもそも艦これの時間をねん出するだけで精一杯)
これからも応援していきます!
ところで、4周年ということで「艦これ」に関する事で戦史を交えて考察してみようかと思います。
あくまでも、研究者でもなく、ただの軍艦好き、艦これ好きが土曜日の朝にふらっと考えてみた程度のよもやま話なので、内容の質についてはご容赦を!
テーマは<「艦これ」における戦闘の順番について>なのです!
<艦これの戦闘方法(順番)>
艦これの戦闘順番は大まかには下記の様になります。
A:航空機による偵察
↓
B:航空戦(制空権の決定)
↓
C:(先制対潜攻撃)
↓
D:開幕雷撃
↓
E:交戦形態の表示
↓
F:砲撃戦(条件により2順)
↓
G:雷撃戦
↓
H:戦闘終了又は夜戦実行の選択
↓
I:夜戦
実戦では当然、この様な順番になることはありませんでした。
序盤戦こそ、巡洋艦や駆逐艦どうしの夜戦を中心とした砲撃戦、水雷戦がありました。
ソロモン海戦くらいまでは、磨き上げてきた夜戦で戦果も挙げました!
↓
劇場版艦これの舞台アイアンボトムサウンドにおける戦いを戦史を交えて解説
<第一水雷戦隊>
旗艦阿武隈+第六駆逐隊+時雨(第二七駆逐隊)

艦娘で綴る水雷戦隊のまとめ
↓
艦娘で綴る水雷戦隊まとめ・旗艦と編成駆逐隊
しかし、日本海軍が真珠湾攻撃で航空機が戦艦を大量にを沈める。
更には、マレー沖海戦で全速で航行する英国きっての戦艦2隻を沈めてしまうことで
航空戦力の優位性を完全に証明する形になってしまいました!
考えれば当然の流れです。過去から人類はこん棒→やり→弓矢→鉄砲→大砲→航空機(ミサイル)とできるだけ遠くから如何に味方の被害が少なく一方的にたたく技術を進歩させてきた訳ですから。
その結果、太平洋戦争の艦隊戦も一気に航空戦力による戦闘に移行していきます。
以後、水上戦力(特に戦艦)は打撃力として、あまり機能することがなくなって行きました。
こちらは、任務「精鋭「第二航空戦隊」抜描せよ!」でリランカ島急襲任務での編成です。

2航戦の二人が中心の艦隊構成なのですが、S勝利を取るには、戦艦の存在が重要になってきます。
しかも、潜水艦がラスボス艦隊にもいるので駆逐艦による対潜装備も怠ることができません。
※未だに達成していない任務が多くて・・・・

では艦これでのこの様な戦闘順番は何をモチーフにしたのか?
もちろん、毎回空母決戦だと面白くないし、戦艦も空母も巡洋艦も駆逐艦も潜水艦も等しく活躍してくれないとゲームとしてなりたたないからなんですが。
それでもモチーフがある様に思います。
それが<日本帝国海軍が理想とした艦隊決戦の在り方>だったのではないかと。
アメリカ戦略研究家 「アルフレッド・セイヤー・マハン」が「海上権力史論」の中で提唱した
「大艦巨砲主義」
「集中の鉄則」
「一度の決戦による敵艦隊の撃滅」
これを最も決定的に実行したのは、日露戦争における日本海海戦での日本海軍のバルチック艦隊の撃滅だと思います。
このマハンの「海上権力史論」をバイブルとした国が日本海軍であり、アメリカ海軍でした。
そして、そこから発展させた日本帝国海軍の基本戦略が
「漸減邀撃作戦」となって行きました。
遠く、アメリカ大陸から日本への遠征の過程で徐々に戦力を削り決戦でけりをつける。
日本の戦闘思想は下記の様なものだと考えられます
①いち早く航空機による敵の確認(A)
②制空権確保の中(B)
③潜水艦による襲撃で戦力をダウンさせつつ混乱させ(D)
④戦艦による主力艦隊決戦で撃滅(F)
⑤とどめは雷撃(G)
⑥さらに戦力が残っている時には夜戦に持ち込む(I)
正に「艦これ」の順番は、旧帝国海軍が軍令部と中心に長らく練ってきた戦法な訳です。
その培ってきた思想を一気に覆したのが航空戦力の発達です。
その結果、①、②から④にいってその主役は空母と艦載機そして⑤と⑥は省略になって行きました。
日本において航空戦力化を進めていたのが異端児であり天才とよべる山本五十六でした。
真珠湾で戦果を挙げた時に、皆が歓声を上げる中、山本五十六元帥はムスッとした顔をしていたと言います。
航空時代が来ることを予測し、1932年(昭和9年)にいち早く海軍航空技術廠を立ち上げ、世界最初の空母を完成させる程、先が見える元帥の目にはこれからの海戦が空母による航空戦になり、大量の航空機が勝敗を分ける、海戦が物量戦になることが見えていたのでしょう。
そして物量と生産力が圧倒的に勝るアメリカに対して(当時の国力差で18倍とも更に差があったとも言います)勝ち目がないことを予測していたのかも知れません。
日本海軍が大艦巨砲主義に固執し航空戦力の増強を怠った訳ではありません。できることはほぼやっていたと思います。
この話を書き出すと何ページにもなってしまうので後日にするとして、生産能力、工業力がとてつもなく差があったのです。

ともかく、「艦これ」4周年おめでとうございます!
これからも盛り上げて行きましょう!
17年春イベを楽しみにしております。
新艦娘は何でしょうかね。護衛空母雲鷹又は大鷹は鉄板として、
護衛空母の系譜・誕生年・没年
↓
護衛空母に日の当たる日が来るとは!
逆に通商破壊に主に従事したドイツ艦?
ドイッチュラント級ポケット戦艦のアドミラル・グラーフ・シュッペー?なんかもいいなあ。
名前の由来である「マクシミリアン・フォン・シュッペー」は青島を根拠地にしたドイツ東洋艦隊の提督でした。
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