軽巡洋艦に降りかかった宿命とは・・・艦娘で綴る日本軽巡洋艦の系譜、形式、生年
今日は4月1日、ついに新年度が始まりますね。
私の様に新年度になって部署も変わらずでいると、4月からの新年度もこれまでの続きといった感なのですが、実際には一緒に働くメンバーには大きく変わっていたり、やはり新年度はこれまでと違った何かがあります。
装いも新たに、気持ちも新たにいきたいと思います。
特に進学や就職など大きな変化のある方にとっては大きな変化があるでしょう。
まあ、力を入れすぎず、抜き過ぎず、中庸で頑張って行きましょう!
ところで、これまで何回かまとめてきた「艦娘で綴る艦の系譜シリーズ」(かってにシリーズを名乗ってます)ですが、今回は軽巡洋艦についてまとめます。
これまでのまとめ
艦娘で綴る戦艦の系譜はこちら
↓
艦娘で綴る戦艦の系譜と金剛型戦艦の生誕と眠る(沈んだ)場所
艦娘で綴る重巡洋艦の系譜はこちら
↓
重巡と軽巡の境目は実はあいまい?艦娘で綴る重巡洋艦の系譜
前回、重巡をまとめたので、今回は軽巡です。
前回の重巡でも書いたのですが、初めから重巡洋艦という艦種があった訳ではなく、ロンドン条約などの軍縮条約の流れでこの様な呼称ができたわけです。
従って、重巡と軽巡では本来あまり区別がないもので、ともに巡洋艦の系譜でまとめるべきなのですが、それでは長くボリュームが多すぎるのでこの様に分けさせていただきました。
なので、重巡の系譜と合わせて見ていただくと流れが分かりやすいと思います。
さて
<軽巡洋艦の系譜・形式まとめ>

第二次大戦参加の艦に限定させていただきました。
この様に見ていくと、軽巡洋艦は基本的に水雷戦隊の旗艦が目的の設計だと分かります。
では順次見て行きましょう!
天竜型

それまであった日本海軍の軽巡の役割が防護巡洋艦からより攻撃的な軽巡洋艦として設計思想が移行しての最初の軽巡が天竜型になります。
水雷戦隊旗艦として駆逐艦を率いる為、機関出力をこれまでの倍に!巡洋艦として世界で初めて30ノットを超えたものになりました。装備砲は日本人の体格に合わせ、14cm砲に、魚雷兵装は53.3cmに強化され、船体の中心線上に配置されました。
本人も言っていますが、当時は「俺の装備は世界水準を軽く超えてるからなあ~」だったのです。
でもすぐに5500t型軽巡が出て越えられちゃいますけどね・・・(T_T)
そんな天竜ですが第一次ソロモン海戦では活躍しました!
この時龍田さんは欠席だったんですよね。
こちらで軽巡天竜を模型で詳しく解説
↓
ハセガワ製スーパーディテール軽巡天竜建造日誌
球磨型

天竜型は8隻を予定されていたのですが、米英でこの天竜型を超える巡洋艦が出現し始めるとより強力なものが必要になってきました。
それが、5500t型軽巡。最初のグループが球磨型です。球磨型では索敵能力向上のために水上偵察機を搭載出来ますが、発射設備はありませんでした。
球磨、多摩だけに後年カタパルトが設置されました。

大井と北上さんは重雷装巡洋艦に!
この2艦は魚雷発射管てんこ盛りの重雷装巡洋艦に生まれ変わります。
この2艦は力を入れて作成した艦船プラモデルがあるのでそちらを見ていただけると嬉しいです。
↓
計40門の魚雷一斉発射 重雷装巡洋艦北上建造日誌
重雷装巡洋艦大井建造日誌
北上さん達は更に改装され、高速輸送艦、北上さんは更にアレを搭載する艦に嫌々?改造されます。
実際に出撃機会がなかったのがせめてもの救いです。
艦これでは甲標的搭載艦ですが、甲標的は無謀ではあっても特攻兵器ではありませんからね。ずいぶん違います。
長良型

球磨型軽巡洋艦5番艦木曽で試験的に装備した艦橋下部の水上機格納庫と艦橋前の飛行機滑走台を装備したのが長良型です。
この滑走台はその後撤去され、艦後部にカタパルトが設置されました。
防空巡洋艦五十鈴

この長良型でも軽巡洋艦の中で唯一の防空巡洋艦として生まれ変わったのが五十鈴です。
(重巡洋艦摩耶も防空巡洋艦ですね。重巡と合わせてもこの2艦しかありません。)
14cm砲を撤去して12.7cm連装高角砲3基設置、その他にも25mm三連装機銃を詰め込んだ新しい発想の巡洋艦です。
阿武隈もここまでは変えていないのですが、後部の主砲を撤去して12.7cm連装高角砲を設置しています。
阿武隈は長良型の末っ子でこの中ではまだ新しい船であることもあって、開戦時の第一水雷戦隊の旗艦です。
因みに名取は第五水雷戦隊旗艦。構成員は睦月型や神風型の旧型駆逐艦で輸送が任務です。
工業生産力の高いアメリカなどは、この様に改造するより作ってしまう方が早いんでしょうけど、日本はそうはいかないですからね。本当はもっと多くの船を改装すべきだったのではと思うんですが・・・
川内型

軍縮条約によって、その後長年軽巡洋艦は作られなかったので(後に重巡に改造するための最上型は除く)、5500t型の最後のグループとして、作られたのが川内型です。
その為、川内、神通、那珂ちゃんは第3、第2、第4水雷戦隊旗艦として実際に戦闘に赴きました!
最後には敗れはしましたが、神通と川内夜戦での沈没!(那珂ちゃんはトラック空襲で沈没)
は水雷戦隊旗艦としての本懐を遂げたと言えるのではないでしょうか。
夕張型

ご存知、天才平賀譲氏の設計による実験艦です。5500tの装備を3000tの船体に積み込む。そんな発想の船です。
ご存知の通り、第一次ソロモン海戦で活躍した船です。
夕張は開戦時の第六水雷戦隊旗艦。構成員は神風型、睦月型の旧式駆逐艦の名目は防衛艦隊。
こちらで詳しく述べていますので時間の余裕のある方は是非ぜひご覧ください!
結構好きな船なんですよね。
↓
軽巡夕張建造日誌
練習巡洋艦香取型

一応この軽巡のまとめで入れましたが、流れでは違う気がするので後日またあらためて。
阿賀野型

上の表を見ていただくと、川内型から阿賀野型まで大きな時間の開きがあることがお分かりだと思います。
正式名称「第四次海軍軍備充実計画」、通称マル4計画で軍備充実の為に設計された巡洋艦で、この時にはかの戦艦大和型、空母大鳳、などもこの計画の設計艦です。
従来の重巡や最上型の様な(竣工当時は)大型軽巡を甲型と呼ぶのに対して、乙型は川内型に次ぐ水雷戦隊旗艦として設計されました。戦中の1942年に出来た時には既に航空戦の時代、その最強の魚雷兵装を生かせることもなく、逆に脆弱な対空能力に苦しむことになりました。
阿賀野姉さんがだめ姉として描かれているのもこんなところが理由でしょうが、艦娘としては愛すべきキャラです。
大淀型

阿賀野型を乙型巡洋艦と呼ぶのに対し、潜水戦隊旗艦目的で設計されたのが軽巡大淀です(と未完の仁淀)。
日本帝国海軍の漸減邀撃作戦という基本戦略において、潜水艦は最初に敵艦隊をかき回す役割を持っていました。
しかし潜水艦の索敵能力は限定的!なので水上機を搭載できる潜水艦を積極的に開発した訳です。
同時に大淀にその索敵能力を期待した訳です。竣工時は紫雲6機を搭載できる軽巡として生まれた訳です。
しかし、軽巡大淀は格納庫を生かした通信設備や高い防空能力(摩耶をしのぐとも)、高速性など優れた点で1943年とすでに劣勢な中で誕生した船にも関わらず大いに活躍しました。
現在、鋭意建造中こちらに詳しく記載しています!
↓
スーパー軽巡大淀建造日誌
とまあ、軽巡の系譜はこの様になります。
水雷戦隊旗艦としての軽巡の終焉
川内型はともかくとして、球磨型、長良型が開戦時には旧式化し高速の輸送船任務に就くことが多くなりました。
輸送任務は非常に重要な任務でしたが、本来の目的を達せなかったのは少し残念ですね。
そして、次第に時代は航空戦の時代になり、水雷戦隊自体が意味を失い始めます。
その輸送任務も制空権のない中での夜間輸送、得意の夜戦も善戦はしたものの、米軍のレーダーの射撃の前に次第に優位さを失っていきました。
このシリーズを書くときに時間がかかるのは覚悟していますが、長文お付き合いいただきありがとうございました!
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今日は4月1日、ついに新年度が始まりますね。
私の様に新年度になって部署も変わらずでいると、4月からの新年度もこれまでの続きといった感なのですが、実際には一緒に働くメンバーには大きく変わっていたり、やはり新年度はこれまでと違った何かがあります。
装いも新たに、気持ちも新たにいきたいと思います。
特に進学や就職など大きな変化のある方にとっては大きな変化があるでしょう。
まあ、力を入れすぎず、抜き過ぎず、中庸で頑張って行きましょう!
ところで、これまで何回かまとめてきた「艦娘で綴る艦の系譜シリーズ」(かってにシリーズを名乗ってます)ですが、今回は軽巡洋艦についてまとめます。
これまでのまとめ
艦娘で綴る戦艦の系譜はこちら
↓
艦娘で綴る戦艦の系譜と金剛型戦艦の生誕と眠る(沈んだ)場所
艦娘で綴る重巡洋艦の系譜はこちら
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重巡と軽巡の境目は実はあいまい?艦娘で綴る重巡洋艦の系譜
前回、重巡をまとめたので、今回は軽巡です。
前回の重巡でも書いたのですが、初めから重巡洋艦という艦種があった訳ではなく、ロンドン条約などの軍縮条約の流れでこの様な呼称ができたわけです。
従って、重巡と軽巡では本来あまり区別がないもので、ともに巡洋艦の系譜でまとめるべきなのですが、それでは長くボリュームが多すぎるのでこの様に分けさせていただきました。
なので、重巡の系譜と合わせて見ていただくと流れが分かりやすいと思います。
さて
<軽巡洋艦の系譜・形式まとめ>

第二次大戦参加の艦に限定させていただきました。
この様に見ていくと、軽巡洋艦は基本的に水雷戦隊の旗艦が目的の設計だと分かります。
では順次見て行きましょう!
天竜型

それまであった日本海軍の軽巡の役割が防護巡洋艦からより攻撃的な軽巡洋艦として設計思想が移行しての最初の軽巡が天竜型になります。
水雷戦隊旗艦として駆逐艦を率いる為、機関出力をこれまでの倍に!巡洋艦として世界で初めて30ノットを超えたものになりました。装備砲は日本人の体格に合わせ、14cm砲に、魚雷兵装は53.3cmに強化され、船体の中心線上に配置されました。
本人も言っていますが、当時は「俺の装備は世界水準を軽く超えてるからなあ~」だったのです。
でもすぐに5500t型軽巡が出て越えられちゃいますけどね・・・(T_T)
そんな天竜ですが第一次ソロモン海戦では活躍しました!
この時龍田さんは欠席だったんですよね。
こちらで軽巡天竜を模型で詳しく解説
↓
ハセガワ製スーパーディテール軽巡天竜建造日誌
球磨型

天竜型は8隻を予定されていたのですが、米英でこの天竜型を超える巡洋艦が出現し始めるとより強力なものが必要になってきました。
それが、5500t型軽巡。最初のグループが球磨型です。球磨型では索敵能力向上のために水上偵察機を搭載出来ますが、発射設備はありませんでした。
球磨、多摩だけに後年カタパルトが設置されました。

大井と北上さんは重雷装巡洋艦に!
この2艦は魚雷発射管てんこ盛りの重雷装巡洋艦に生まれ変わります。
この2艦は力を入れて作成した艦船プラモデルがあるのでそちらを見ていただけると嬉しいです。
↓
計40門の魚雷一斉発射 重雷装巡洋艦北上建造日誌
重雷装巡洋艦大井建造日誌
北上さん達は更に改装され、高速輸送艦、北上さんは更にアレを搭載する艦に嫌々?改造されます。
実際に出撃機会がなかったのがせめてもの救いです。
艦これでは甲標的搭載艦ですが、甲標的は無謀ではあっても特攻兵器ではありませんからね。ずいぶん違います。
長良型

球磨型軽巡洋艦5番艦木曽で試験的に装備した艦橋下部の水上機格納庫と艦橋前の飛行機滑走台を装備したのが長良型です。
この滑走台はその後撤去され、艦後部にカタパルトが設置されました。
防空巡洋艦五十鈴

この長良型でも軽巡洋艦の中で唯一の防空巡洋艦として生まれ変わったのが五十鈴です。
(重巡洋艦摩耶も防空巡洋艦ですね。重巡と合わせてもこの2艦しかありません。)
14cm砲を撤去して12.7cm連装高角砲3基設置、その他にも25mm三連装機銃を詰め込んだ新しい発想の巡洋艦です。
阿武隈もここまでは変えていないのですが、後部の主砲を撤去して12.7cm連装高角砲を設置しています。
阿武隈は長良型の末っ子でこの中ではまだ新しい船であることもあって、開戦時の第一水雷戦隊の旗艦です。
因みに名取は第五水雷戦隊旗艦。構成員は睦月型や神風型の旧型駆逐艦で輸送が任務です。
工業生産力の高いアメリカなどは、この様に改造するより作ってしまう方が早いんでしょうけど、日本はそうはいかないですからね。本当はもっと多くの船を改装すべきだったのではと思うんですが・・・
川内型

軍縮条約によって、その後長年軽巡洋艦は作られなかったので(後に重巡に改造するための最上型は除く)、5500t型の最後のグループとして、作られたのが川内型です。
その為、川内、神通、那珂ちゃんは第3、第2、第4水雷戦隊旗艦として実際に戦闘に赴きました!
最後には敗れはしましたが、神通と川内夜戦での沈没!(那珂ちゃんはトラック空襲で沈没)
は水雷戦隊旗艦としての本懐を遂げたと言えるのではないでしょうか。
夕張型

ご存知、天才平賀譲氏の設計による実験艦です。5500tの装備を3000tの船体に積み込む。そんな発想の船です。
ご存知の通り、第一次ソロモン海戦で活躍した船です。
夕張は開戦時の第六水雷戦隊旗艦。構成員は神風型、睦月型の旧式駆逐艦の名目は防衛艦隊。
こちらで詳しく述べていますので時間の余裕のある方は是非ぜひご覧ください!
結構好きな船なんですよね。
↓
軽巡夕張建造日誌
練習巡洋艦香取型

一応この軽巡のまとめで入れましたが、流れでは違う気がするので後日またあらためて。
阿賀野型

上の表を見ていただくと、川内型から阿賀野型まで大きな時間の開きがあることがお分かりだと思います。
正式名称「第四次海軍軍備充実計画」、通称マル4計画で軍備充実の為に設計された巡洋艦で、この時にはかの戦艦大和型、空母大鳳、などもこの計画の設計艦です。
従来の重巡や最上型の様な(竣工当時は)大型軽巡を甲型と呼ぶのに対して、乙型は川内型に次ぐ水雷戦隊旗艦として設計されました。戦中の1942年に出来た時には既に航空戦の時代、その最強の魚雷兵装を生かせることもなく、逆に脆弱な対空能力に苦しむことになりました。
阿賀野姉さんがだめ姉として描かれているのもこんなところが理由でしょうが、艦娘としては愛すべきキャラです。
大淀型

阿賀野型を乙型巡洋艦と呼ぶのに対し、潜水戦隊旗艦目的で設計されたのが軽巡大淀です(と未完の仁淀)。
日本帝国海軍の漸減邀撃作戦という基本戦略において、潜水艦は最初に敵艦隊をかき回す役割を持っていました。
しかし潜水艦の索敵能力は限定的!なので水上機を搭載できる潜水艦を積極的に開発した訳です。
同時に大淀にその索敵能力を期待した訳です。竣工時は紫雲6機を搭載できる軽巡として生まれた訳です。
しかし、軽巡大淀は格納庫を生かした通信設備や高い防空能力(摩耶をしのぐとも)、高速性など優れた点で1943年とすでに劣勢な中で誕生した船にも関わらず大いに活躍しました。
現在、鋭意建造中こちらに詳しく記載しています!
↓
スーパー軽巡大淀建造日誌
とまあ、軽巡の系譜はこの様になります。
水雷戦隊旗艦としての軽巡の終焉
川内型はともかくとして、球磨型、長良型が開戦時には旧式化し高速の輸送船任務に就くことが多くなりました。
輸送任務は非常に重要な任務でしたが、本来の目的を達せなかったのは少し残念ですね。
そして、次第に時代は航空戦の時代になり、水雷戦隊自体が意味を失い始めます。
その輸送任務も制空権のない中での夜間輸送、得意の夜戦も善戦はしたものの、米軍のレーダーの射撃の前に次第に優位さを失っていきました。
このシリーズを書くときに時間がかかるのは覚悟していますが、長文お付き合いいただきありがとうございました!
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