<艦娘で綴る日本重巡洋艦の型式と年代のまとめ>
ずいぶん春らしくなって来ましたね。
日本気象協会が桜の開花予想2017年を発表していますが、東京のあたりは3月31日くらいになるみたいです。
↓
桜の開花予想(日本気象協会)
もっとも最近は花見にも行っていませんし、川沿いなどを歩くときに「あっ!桜が咲いてるな~」くらいの感じなんですけど。
寒いの苦手だし・・・
話はまったく変わるのですが、以前、日本の戦艦の生没年まとめを行いました。
結局、戦艦の型式と金剛型の生没年と場所を書くことになったのですが、今回は重巡についてまとめました。
艦娘で綴る日本戦艦の型式と生没年のまとめ(金剛編)
<金剛の生まれの場所 ヴィッカース社ってここにあったんだ・・・編>
↓
艦娘で綴る日本戦艦の誕生の年と場所と沈没場所
戦艦のまとめも金剛型しか終わってないのに重巡に移ったのは、私のお気に入りの艦船プラモデルの重巡鳥海を何とか紹介したいなという理由からです。
又、ここのところ、軽巡ばっかり作っているので時には様子を変えたくなりました。
それに順番に戦艦から書いて行ったら、いつになるか分かりませんが最後にはずっ~と駆逐艦か潜水艦になってしまいます・・・
早速本題に入ります!
<重巡洋艦型式まとめ>

ここに書いた分類は私が便宜上勝手に行ったもので、きちんとしたものが他にあるかも知れません。
いや、きっとあるでしょう。
・重巡洋艦の名称の由来
重巡洋艦という呼称は比較的最近のものです。
軍縮条約の制限下に生まれた呼称と言ってもいいかも知れません。
日露戦争の当時は戦艦と言えど、排水量13000tから15000tくらいのものでした。
しかし、前ド級戦艦に17000t~20000tへ大型化するにつれて、比較して小さいものを装甲巡洋艦と呼ばれる様になりました。
装甲巡洋艦に対して、軽度の防御力を有する巡洋艦を「軽巡洋艦」と区別されました。
当時あった「偵察巡洋艦」という艦種は「軽巡洋艦」に吸収されていったので当時の呼称と言えば
「装甲巡洋艦」と「軽巡洋艦」の2種類になっていました。
明治31年(1998年)に排水量が7000tを超える巡洋艦を一等巡洋艦とする規定が決まっているので、
古鷹型などは「軽巡洋艦」で「一等巡洋艦」だった訳ですね。・・・こんがらがる
・きっかけはワシントン軍縮条約
簡単にまとめると
・古鷹型は1922年までに着手した八八巻艦隊構想を整理したワシントン条約前の巡洋艦

鎮守府の模様も春らしくしてみました。
・青葉型は条約後の新艦隊構想だけど古鷹型の発展型なので7100t級

条約型巡洋艦といっても良いかも知れませんが、いわゆる1万トン型を条約型とする方が分かりやすいかと。
青葉関連記事
↓
歴戦の名艦呉に沈む。青葉は何を思うだろう
・条約いっぱいの10000tの制限内での巡洋艦構想がいわゆる1万トン型(1万t、八インチ砲搭載)の妙高型
(実際には余裕で1万tを超えていたとか)
古鷹型とともに、かの平賀譲氏の設計艦です。

実はこれらの船は全て軽巡洋艦として計画されました。
まだ、重巡洋艦の概念がなく、装甲巡洋艦は残っていたので装甲巡洋艦に対しての、軽巡洋艦だった訳です。
日本の妙高型に対抗して各国は八インチ砲搭載の10000tクラスの巡洋艦の建艦競争になってきました。
いわゆる「条約型巡洋艦」建造の過熱化です。
この様なことも新たな海軍軍縮条約の策定の要因のひとつになりました。
一万t型重巡の第二弾の高雄型

ここに来て、艦隊決戦型の重巡のある種の集大成の様にも感じます。
無理やりですが重巡鳥海の紹介です。
↓
重巡鳥海建造日誌 夕日に照らされる鳥海
ロンドン軍縮条約(1930年)
更に類別が分けられました。
a)口径6.1インチ以上の砲を搭載する艦(日本呼称:甲巡)
b)口径6.1インチ以下の砲を搭載する艦(日本呼称:乙巡)
とより詳細に分類され総トン数の制限がつきました。
日本海軍の「一等巡洋艦」と「二等巡洋艦」の規定も砲の口径によるものに整理し、以後の巡洋艦は6.1インチ(15.5cm)砲を搭載された二等巡洋艦として建造されました。
なので、一万tを超える排水量を持ちながら、最上型、利根型の名前は川由来な訳ですね!
帝国海軍の命名基準
↓
日本海軍の命名基準
最上型は一万tを超えながらも、当初15.5cm三連装砲塔を搭載していたので、二等巡洋艦として建造されたのでした。

この外された3連装15.5cm砲は大和の副砲や軽巡大淀の主砲になる訳です。
(大和の副砲が弱点と言われたのはこの砲塔の装甲の薄さです)
米海軍はロンドン条約に基づき呼称を整理
類別a)該当巡洋艦・・・重巡洋艦(Heavy Cruiser)
類別b)該当巡洋艦・・・軽巡洋艦(Light Criser)
としました。
ここで、現在までに続く重巡洋艦の名称が確立したのですね。
(・_・D フムフム
利根型は建造途中でロンドン条約の期限が切れることが分かっていたので建造途中に20.3cm砲に変えています。

いやぁ~。簡単に整理しようとしたらずいぶんなボリュームになってしまいました・・・
猫のリンセも構ってもらえないのでニャーニャー言っています。
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ずいぶん春らしくなって来ましたね。
日本気象協会が桜の開花予想2017年を発表していますが、東京のあたりは3月31日くらいになるみたいです。
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桜の開花予想(日本気象協会)
もっとも最近は花見にも行っていませんし、川沿いなどを歩くときに「あっ!桜が咲いてるな~」くらいの感じなんですけど。
寒いの苦手だし・・・
話はまったく変わるのですが、以前、日本の戦艦の生没年まとめを行いました。
結局、戦艦の型式と金剛型の生没年と場所を書くことになったのですが、今回は重巡についてまとめました。
艦娘で綴る日本戦艦の型式と生没年のまとめ(金剛編)
<金剛の生まれの場所 ヴィッカース社ってここにあったんだ・・・編>
↓
艦娘で綴る日本戦艦の誕生の年と場所と沈没場所
戦艦のまとめも金剛型しか終わってないのに重巡に移ったのは、私のお気に入りの艦船プラモデルの重巡鳥海を何とか紹介したいなという理由からです。
又、ここのところ、軽巡ばっかり作っているので時には様子を変えたくなりました。
それに順番に戦艦から書いて行ったら、いつになるか分かりませんが最後にはずっ~と駆逐艦か潜水艦になってしまいます・・・
早速本題に入ります!
<重巡洋艦型式まとめ>

ここに書いた分類は私が便宜上勝手に行ったもので、きちんとしたものが他にあるかも知れません。
いや、きっとあるでしょう。
・重巡洋艦の名称の由来
重巡洋艦という呼称は比較的最近のものです。
軍縮条約の制限下に生まれた呼称と言ってもいいかも知れません。
日露戦争の当時は戦艦と言えど、排水量13000tから15000tくらいのものでした。
しかし、前ド級戦艦に17000t~20000tへ大型化するにつれて、比較して小さいものを装甲巡洋艦と呼ばれる様になりました。
装甲巡洋艦に対して、軽度の防御力を有する巡洋艦を「軽巡洋艦」と区別されました。
当時あった「偵察巡洋艦」という艦種は「軽巡洋艦」に吸収されていったので当時の呼称と言えば
「装甲巡洋艦」と「軽巡洋艦」の2種類になっていました。
明治31年(1998年)に排水量が7000tを超える巡洋艦を一等巡洋艦とする規定が決まっているので、
古鷹型などは「軽巡洋艦」で「一等巡洋艦」だった訳ですね。・・・こんがらがる
・きっかけはワシントン軍縮条約
簡単にまとめると
・古鷹型は1922年までに着手した八八巻艦隊構想を整理したワシントン条約前の巡洋艦

鎮守府の模様も春らしくしてみました。
・青葉型は条約後の新艦隊構想だけど古鷹型の発展型なので7100t級

条約型巡洋艦といっても良いかも知れませんが、いわゆる1万トン型を条約型とする方が分かりやすいかと。
青葉関連記事
↓
歴戦の名艦呉に沈む。青葉は何を思うだろう
・条約いっぱいの10000tの制限内での巡洋艦構想がいわゆる1万トン型(1万t、八インチ砲搭載)の妙高型
(実際には余裕で1万tを超えていたとか)
古鷹型とともに、かの平賀譲氏の設計艦です。

実はこれらの船は全て軽巡洋艦として計画されました。
まだ、重巡洋艦の概念がなく、装甲巡洋艦は残っていたので装甲巡洋艦に対しての、軽巡洋艦だった訳です。
日本の妙高型に対抗して各国は八インチ砲搭載の10000tクラスの巡洋艦の建艦競争になってきました。
いわゆる「条約型巡洋艦」建造の過熱化です。
この様なことも新たな海軍軍縮条約の策定の要因のひとつになりました。
一万t型重巡の第二弾の高雄型

ここに来て、艦隊決戦型の重巡のある種の集大成の様にも感じます。
無理やりですが重巡鳥海の紹介です。
↓
重巡鳥海建造日誌 夕日に照らされる鳥海
ロンドン軍縮条約(1930年)
更に類別が分けられました。
a)口径6.1インチ以上の砲を搭載する艦(日本呼称:甲巡)
b)口径6.1インチ以下の砲を搭載する艦(日本呼称:乙巡)
とより詳細に分類され総トン数の制限がつきました。
日本海軍の「一等巡洋艦」と「二等巡洋艦」の規定も砲の口径によるものに整理し、以後の巡洋艦は6.1インチ(15.5cm)砲を搭載された二等巡洋艦として建造されました。
なので、一万tを超える排水量を持ちながら、最上型、利根型の名前は川由来な訳ですね!
帝国海軍の命名基準
↓
日本海軍の命名基準
最上型は一万tを超えながらも、当初15.5cm三連装砲塔を搭載していたので、二等巡洋艦として建造されたのでした。

この外された3連装15.5cm砲は大和の副砲や軽巡大淀の主砲になる訳です。
(大和の副砲が弱点と言われたのはこの砲塔の装甲の薄さです)
米海軍はロンドン条約に基づき呼称を整理
類別a)該当巡洋艦・・・重巡洋艦(Heavy Cruiser)
類別b)該当巡洋艦・・・軽巡洋艦(Light Criser)
としました。
ここで、現在までに続く重巡洋艦の名称が確立したのですね。
(・_・D フムフム
利根型は建造途中でロンドン条約の期限が切れることが分かっていたので建造途中に20.3cm砲に変えています。

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