<艦娘で綴る日本戦艦の出生地(建造場所)まとめ>
大和ミュージアムのまとめをしていて、この船って呉に関連していたんだっけ?
なんて考えながらブログを書いていると、呉の生まれの艦はともかく、その他の地で生まれた船の出生地(建造場所)が明確に覚えていない船もあるなって、なんて気づきました。
そこで、一度各艦船の出生地(建造場所)と沈没場所をまとめてみる気になりました。
最初は戦艦です!
ただ、まとめて見ても味気ないので艦娘で綴ってみたいと思います。
日本帝国海軍の大戦中の戦艦は12隻あります。
「日本戦艦 竣工年代まとめ」

御覧の様に巡洋戦艦金剛から始まり、大和型の武蔵で終わります。
その後戦艦は作られることがないので、戦艦武蔵は事実上、日本の戦艦の最後の艦と言うことになります。
ちなみに、日本の戦艦の原型は装甲艦「甲鉄」(なんちゅう名前!のち東(あずま))、「龍驤」、「扶桑」に始まり、日清戦争戦利艦「鎮遠」、英国建造艦「富士」へと続いて行きます(三笠もこの系列)。
「超ド級巡洋戦艦 金剛型」
巡洋戦艦金剛

「英国生まれの金剛デース!」って言っている通り、イギリスのヴィッカース社で建造されました。
では、場所はどこかと言うと
イギリス イングランド カンブリア州 バロー=イン=ファーネス(Barrow-in-Furness)と言う町にヴィッカース社の造船所があります。

良く、戦艦金剛の古い写真で「ベルファストに回航される金剛」がありますが、ベルファストは北アイルランドの古い町です。
ここでは、かの有名な戦艦三笠も建造された地で、他に準ド級戦艦香取も建造されています。
この町では日露戦争で勝利した三笠を記念してミカサストリートもあるとのことです。
このヴィッカース社には、「渚にて(On The Beach)」の作者ネビル・シュートが在籍していたんですね。ムムム。
艦これの秋イベントでE-5の題名が「渚をこえて」。何か縁を感じます。
↓
シャングリラを探して(秋イベ解説)

金剛は好きな船だけに結構このブログでも取り上げています。
金剛・榛名によるヘンダーソン飛行場を艦これ劇場版をも交えて解説
↓
ヘンダーソン飛行場砲撃!
戦艦金剛のプラモデルはこちら
↓
戦艦金剛建造日誌
順庸戦艦金剛は1944年11月21日 米潜水艦シーライオンの魚雷2発を受け、台湾沖・基隆北方50浬に沈みました。
潜水艦により沈んだ唯一の戦艦になります。
ちなみに「霧の艦隊旗艦大戦艦金剛」

「蒼き鋼のアルペジオ」の金剛ねーさんです。同じ金剛でもずいぶん雰囲気が違います。
漫画での金剛ねーさんより、アニメ版の方が好きかな。
「金剛型2番艦 巡洋戦艦比叡」

「金剛お姉さまの妹分、比叡です。~」
金剛はイギリス生まれなので、出生地は当然異なりますが、妹ではなくて妹分って言っているのは訳があります。
比叡は横須賀海軍工廠で生まれました。図面は金剛のものをヴィッカース社から入手し、部品や兵装も大半はそのヴィッカース社から購入したものです。
なので「お姉さまゆずりの兵装」なんですね。
ノックダウン生産だったので、当初は不具合が多く練習艦になったりもしましたが、横須賀で第一次近代化改装、第二次近代化改装をされました。
(ノックダウン生産とは部品を納入し製造を自国で行う生産方式)
その際は、大和の武装の実験艦だったりした訳ですね。
巡洋戦艦比叡は、昭和17年(1942年)11月12日 第三次ソロモン海戦(第一夜戦)で砲撃戦の末、深刻なダメージを受け、翌日空襲の末自沈を余儀なくされました。サボ島沖に眠っています・・・
太平洋戦争で沈んだ最初の日本海軍戦艦になります。
「金剛型3番艦 巡洋戦艦榛名」

榛名と霧島は金剛の設計図を基に作った純国産の巡洋戦艦です。
榛名は民間造船所の神戸川崎造船所で建造されました。
榛名は第一次近代化改装、第二次近代化改装を金剛型の中でもっとも早く行った船です。
榛名の後橋が垂直に立っている等の特徴は最初に改装されたことにも要因がある様です。
(比叡や霧島は煙突から逃げる形になっている)
大和ミュージアムでの模型にその辺りを少し書いています。
↓
大和ミュージアムを色々解説
金剛と榛名は一緒に行動することが多かった訳ですが(ヘンダーソン飛行場砲撃等)、この2艦が高速戦艦の中でも30ノットを超える最も早い戦艦だったからです。
(比叡と霧島は微妙に30ノットを切る)
て言うか金剛が最高速度30.3ノット、榛名が30.5ノットなので日本最高の高速戦艦は榛名だったりします!
米軍では3度も沈没報告され、出撃するたびに損害を受けた戦艦榛名ですが、
最後は武装も取っ払われ無残な姿ながらも、何とか終戦まで生き残りました。
榛名は最後は呉港で大破着底です。
こちらで呉で大破着底した沈没場所をまとめました。こちらも御覧ください。
↓
歴戦の名艦の眠る地(沈没場所)呉港そして青葉が思うこと
つい最近、引退しましたが、海上自衛隊にその名を引き継がれた DDH 「護衛艦はるな」も一時代を担った素晴らしい船です。
ちなみに「霧の艦隊 大戦艦榛名」
アルペジオの中でも人気キャラなんですよ。

「金剛型4番艦巡洋戦艦霧島」

戦艦霧島は、三菱合資会社三菱造船所(現・三菱重工長崎造船所)で建造されました。
榛名と一日遅れで起工され、竣工は1915年(大正4年)4月19日の同日になります。
戦艦霧島は第三次ソロモン海戦で比叡とともに沈んでします。(昭和17年 (1942年)11月14日 第三次ソロモン海戦 第二夜戦)
アメリカ新鋭戦艦サウスダコタ、ワシントンとの砲撃戦の末でした。
比叡は金剛ねえさまLOVE勢ですが、生まれと沈んだ日や途中経緯を見ると霧島と同じ道を歩んでいます。
これも先ほど榛名のところで書いた速度の違いによるものかも知れません。
ちなみに「霧の艦隊 第戦艦霧島」

でも専らその後の行動は熊のぬいぐるみ「ヨタロウ」なんですけど。
第三次ソロモン海戦を劇場版艦これを交えての解説はこちら
↓
アイアンボトムサウンドにおける激闘
日本の戦艦の12艦を一気に書き上げるつもりが、金剛型だけでこのボリュームになってしまいました。
徐々にまとめるとします。
人気ブログランキングに参加しています。
宜しければクリックお願いします!
↓( ̄^ ̄)ゞ

大和ミュージアムのまとめをしていて、この船って呉に関連していたんだっけ?
なんて考えながらブログを書いていると、呉の生まれの艦はともかく、その他の地で生まれた船の出生地(建造場所)が明確に覚えていない船もあるなって、なんて気づきました。
そこで、一度各艦船の出生地(建造場所)と沈没場所をまとめてみる気になりました。
最初は戦艦です!
ただ、まとめて見ても味気ないので艦娘で綴ってみたいと思います。
日本帝国海軍の大戦中の戦艦は12隻あります。
「日本戦艦 竣工年代まとめ」

御覧の様に巡洋戦艦金剛から始まり、大和型の武蔵で終わります。
その後戦艦は作られることがないので、戦艦武蔵は事実上、日本の戦艦の最後の艦と言うことになります。
ちなみに、日本の戦艦の原型は装甲艦「甲鉄」(なんちゅう名前!のち東(あずま))、「龍驤」、「扶桑」に始まり、日清戦争戦利艦「鎮遠」、英国建造艦「富士」へと続いて行きます(三笠もこの系列)。
「超ド級巡洋戦艦 金剛型」
巡洋戦艦金剛

「英国生まれの金剛デース!」って言っている通り、イギリスのヴィッカース社で建造されました。
では、場所はどこかと言うと
イギリス イングランド カンブリア州 バロー=イン=ファーネス(Barrow-in-Furness)と言う町にヴィッカース社の造船所があります。

良く、戦艦金剛の古い写真で「ベルファストに回航される金剛」がありますが、ベルファストは北アイルランドの古い町です。
ここでは、かの有名な戦艦三笠も建造された地で、他に準ド級戦艦香取も建造されています。
この町では日露戦争で勝利した三笠を記念してミカサストリートもあるとのことです。
このヴィッカース社には、「渚にて(On The Beach)」の作者ネビル・シュートが在籍していたんですね。ムムム。
艦これの秋イベントでE-5の題名が「渚をこえて」。何か縁を感じます。
↓
シャングリラを探して(秋イベ解説)

金剛は好きな船だけに結構このブログでも取り上げています。
金剛・榛名によるヘンダーソン飛行場を艦これ劇場版をも交えて解説
↓
ヘンダーソン飛行場砲撃!
戦艦金剛のプラモデルはこちら
↓
戦艦金剛建造日誌
順庸戦艦金剛は1944年11月21日 米潜水艦シーライオンの魚雷2発を受け、台湾沖・基隆北方50浬に沈みました。
潜水艦により沈んだ唯一の戦艦になります。
ちなみに「霧の艦隊旗艦大戦艦金剛」

「蒼き鋼のアルペジオ」の金剛ねーさんです。同じ金剛でもずいぶん雰囲気が違います。
漫画での金剛ねーさんより、アニメ版の方が好きかな。
「金剛型2番艦 巡洋戦艦比叡」

「金剛お姉さまの妹分、比叡です。~」
金剛はイギリス生まれなので、出生地は当然異なりますが、妹ではなくて妹分って言っているのは訳があります。
比叡は横須賀海軍工廠で生まれました。図面は金剛のものをヴィッカース社から入手し、部品や兵装も大半はそのヴィッカース社から購入したものです。
なので「お姉さまゆずりの兵装」なんですね。
ノックダウン生産だったので、当初は不具合が多く練習艦になったりもしましたが、横須賀で第一次近代化改装、第二次近代化改装をされました。
(ノックダウン生産とは部品を納入し製造を自国で行う生産方式)
その際は、大和の武装の実験艦だったりした訳ですね。
巡洋戦艦比叡は、昭和17年(1942年)11月12日 第三次ソロモン海戦(第一夜戦)で砲撃戦の末、深刻なダメージを受け、翌日空襲の末自沈を余儀なくされました。サボ島沖に眠っています・・・
太平洋戦争で沈んだ最初の日本海軍戦艦になります。
「金剛型3番艦 巡洋戦艦榛名」

榛名と霧島は金剛の設計図を基に作った純国産の巡洋戦艦です。
榛名は民間造船所の神戸川崎造船所で建造されました。
榛名は第一次近代化改装、第二次近代化改装を金剛型の中でもっとも早く行った船です。
榛名の後橋が垂直に立っている等の特徴は最初に改装されたことにも要因がある様です。
(比叡や霧島は煙突から逃げる形になっている)
大和ミュージアムでの模型にその辺りを少し書いています。
↓
大和ミュージアムを色々解説
金剛と榛名は一緒に行動することが多かった訳ですが(ヘンダーソン飛行場砲撃等)、この2艦が高速戦艦の中でも30ノットを超える最も早い戦艦だったからです。
(比叡と霧島は微妙に30ノットを切る)
て言うか金剛が最高速度30.3ノット、榛名が30.5ノットなので日本最高の高速戦艦は榛名だったりします!
米軍では3度も沈没報告され、出撃するたびに損害を受けた戦艦榛名ですが、
最後は武装も取っ払われ無残な姿ながらも、何とか終戦まで生き残りました。
榛名は最後は呉港で大破着底です。
こちらで呉で大破着底した沈没場所をまとめました。こちらも御覧ください。
↓
歴戦の名艦の眠る地(沈没場所)呉港そして青葉が思うこと
つい最近、引退しましたが、海上自衛隊にその名を引き継がれた DDH 「護衛艦はるな」も一時代を担った素晴らしい船です。
ちなみに「霧の艦隊 大戦艦榛名」
アルペジオの中でも人気キャラなんですよ。

「金剛型4番艦巡洋戦艦霧島」

戦艦霧島は、三菱合資会社三菱造船所(現・三菱重工長崎造船所)で建造されました。
榛名と一日遅れで起工され、竣工は1915年(大正4年)4月19日の同日になります。
戦艦霧島は第三次ソロモン海戦で比叡とともに沈んでします。(昭和17年 (1942年)11月14日 第三次ソロモン海戦 第二夜戦)
アメリカ新鋭戦艦サウスダコタ、ワシントンとの砲撃戦の末でした。
比叡は金剛ねえさまLOVE勢ですが、生まれと沈んだ日や途中経緯を見ると霧島と同じ道を歩んでいます。
これも先ほど榛名のところで書いた速度の違いによるものかも知れません。
ちなみに「霧の艦隊 第戦艦霧島」

でも専らその後の行動は熊のぬいぐるみ「ヨタロウ」なんですけど。
第三次ソロモン海戦を劇場版艦これを交えての解説はこちら
↓
アイアンボトムサウンドにおける激闘
日本の戦艦の12艦を一気に書き上げるつもりが、金剛型だけでこのボリュームになってしまいました。
徐々にまとめるとします。
人気ブログランキングに参加しています。
宜しければクリックお願いします!
↓( ̄^ ̄)ゞ
- 関連記事
-
- 祝!4万PV突破! 日本戦艦の系譜 航空戦艦伊勢と日向
- 艦娘で綴る日本海軍戦艦のまとめ(扶桑型編)
- 戦艦金剛ちゃんを更に掘り下げたいと思います!英国に親戚はいるの・・・!?
- 艦娘で綴る戦艦の出生地(建造場所)と眠りの地(沈没場所)まとめ(金剛型戦艦編)