不運な姉と幸運艦の妹の姉妹艦 空母飛鷹と隼鷹の場合
幸運艦とか、不運艦又は不幸艦という言い方があります。
戦場において、運、不運というのはどうしても影響してきます。
それが、勝敗を決定する要因になることもしばしばで、単艦レベルで行ったら更に影響は大きいものになります。
ところで、この記事を読んでいただいている方には幸運艦と言えば、どの艦を思い出すでしょうか?
終戦(傷つきながらも含めて)まで生き残ったという意味では、戦艦長門、日向、重巡青葉、駆逐艦響や潮、神風や春風、夕風などこの他にもいくつか挙げることができます。
神風型駆逐艦春風建造日誌はこちら
↓
駆逐艦春風建造日誌
神風の壮絶な米潜水艦との一騎打ちの戦いの記録はこちら
↓
神風とホークビルとの壮絶な一騎打ち
武勲艦であり、当時幸運艦と呼ばれていた艦では、航空母艦瑞鶴や駆逐艦時雨などこれもいくつか挙げることが出来るでしょう。
なんと言っても100以上の作戦に参加し、大戦を通じて激戦の中に投入されつつも、ほとんど無傷で終戦を迎えた駆逐艦雪風は武勲艦であり、終戦まで生き残った幸運艦の最たるもの。
KING OF KINGSです。まさに神っています。
お守りにしてもご利益があるのではというくらいです。
駆逐艦雪風&天津風建造日誌はこちら
↓
駆逐艦雪風&天津風建造日誌
逆に不運艦又は不幸艦と呼べる艦もいくつかあります。
航空母艦翔鶴は立派な武勲艦だと思いますが、瑞鶴との対比で被害担当艦なんて言われ、不幸艦の様な扱いを受けています。
戦艦扶桑や山城なんて、もはやその不幸ぶりがネタになっています。(艦これの場合だけど)
今回は、しばらく前まで当ブログでも建造日誌を紹介していた、空母飛鷹と空母隼鷹のケースです。
飛鷹を作りながら、一方の隼鷹はかなり昔にタミヤさんからキット化されているにも関わらず、その同型艦はつい先日初めて艦船プラモデルのキット化をフジミさんによってなされました。ウォーターライン的には未だなしです。
この差はなんででしょうね。やっぱ人気の差なのでしょうね。
飛鷹型空母は商船改造空母と言われながらも、蒼龍とほぼ近い25000tクラスの規格外の軽空母(いやいや立派な中型空母です)です。
空母隼鷹は、幾多の海戦で活躍し、しかも帝国海軍機動部隊の最後の勝利を飾りました!
対して飛鷹は大事なところで怪我をして、修理中なことが多い・・・。
せっかく戦隊旗艦になってもすぐに隼鷹に移譲・・・。
なんか不運で残念なところがある娘。
空母飛鷹建造日誌はこちら
↓
空母飛鷹建造日誌

少し振り返って見ましょう!
開戦時
・隼鷹・・・角田少々率いる第四航空戦隊(以後、四航戦)で龍驤とともにアリューシャン方面の作戦に従事
・飛鷹・・・進水は隼鷹より先だったが、完成は遅れ、まだ建造中で参加できず。
昭和17年
・隼鷹、飛鷹、龍驤で第二航空戦隊(以後、二航戦)を結成。司令官は引き続き角田少将
・龍驤は新生、一航戦に貸し出し、挙句に第二次ソロモン海戦で沈没される。(囮になったいう説も)
・残りの二航戦は内地で訓練。ヘンダーソン飛行場を砲撃の金剛、榛名の航空支援のために現地に赴くが任務途中で飛鷹は発電機室火災 であえなく、リタイヤ。トラック泊地経由で内地に帰還。この時、雪風と初雪が護衛について一緒に帰っている。
一瞬だけ艦隊旗艦だったが、すぐに隼鷹に引き渡す。
猛将角田少将のアウトレンジ戦法(南太平洋海戦)
米海軍は、空母エンタープライズ率いる第16任務部隊と空母ホーネット率いる第17任務部隊。
対する帝国海軍は
南雲中将率いる機動部隊(空母翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)
と比叡、霧島の前衛部隊、金剛、榛名、隼鷹の前進部隊。
機動部隊は、ホーネットを炎上せしめたが、この時も翔鶴は運の悪さを露呈してしまい、中破、飛行甲板に被害を受ける。
(瑞鶴はほとんど無傷)
その後の大活躍が隼鷹です。

この時、隼鷹達は見事にアウトレンジ戦法を実現させます!
(アウトレンジ戦法は、瑞鶴さんだけの専売特許ではありません。)
敵との距離330里、飛行隊の行動範囲外から「必ず向かいに行くと」飛行隊を送り出す。敵との会合まで約2時間。その間、隼鷹は全速力で敵陣まで接近。航空機を収容するという戦法です。
日本海軍の理想とするアウトレンジ戦法。
南雲機動部隊一航戦の攻撃で空母ホーネットを攻撃。中破させます。
南雲機動部隊は、翔鶴、瑞鳳を傷つけられ避難。
彼女らの飛行機を回収し瑞鶴と会合した隼鷹は第二次、第三次をと航空隊を送り出し、未だ無傷だったエンタープライズを中破し、ホーネットに更なる痛撃を与え、同艦を放棄せざるを得ない状況までにしました。
ホーネット大破炎上、米軍が自ら沈めるしかないと判断。米駆逐艦の魚雷で処分を決意 計6+6=12本、5インチ砲430発を撃ち込んでも沈まず浮かんでいました。(何たる防御力)
帝国海軍が近づいてきたので避難します。
そこに来たのは例の秋雲と巻雲コンビ。各艦2本、計4本中3本が命中。沈んでいきました。
例のスケッチを描いた話ですね。
↓
駆逐艦秋雲エピソード
とまあ、隼鷹はこの海戦で大活躍を見せました。
昭和18年
海軍甲事件で暗号を解読し待ち受けた米航空隊によって山本五十六連合艦隊司令長官が戦死、連合艦隊旗艦の武蔵が遺骨をもって、内地に戻ることになります。
飛鷹はこれに同行しトラック泊地から本土に。
本土に戻っていた飛鷹はマーシャル諸島方面に出撃するも、米潜水艦の攻撃を受けます。
6本発射の内、4本が命中。3本が不発だったのは幸運としか言えません。
しかし、航行不能になった飛鷹は五十鈴に曳航され再びドック生活へ。
これと時を同じく、空母隼鷹も潜水艦の攻撃を受け、機関室と舵を損傷。重巡利根に曳航され、内地で修理をすることになりました。
飛鷹と隼鷹は母港の呉で修理を受けます。この時、飛鷹はダメコンの為に徹底的に木製設備を取っ払います。
隼鷹も飛鷹に見習って同様に木製設備を取っ払いますが、隼鷹が改造を受けた時はほぼ客船として完成に近かった為にこの作業は大変だったとのことです。
マリアナ海戦後
その後の隼鷹は輸送任務につきます。
昭和19年、隼鷹は潜水艦からの襲撃を受けます。駆逐艦槙が身を呈し、魚雷1本を受けてくれたのですが、艦首と右舷中央部に魚雷2本を被雷、甚大な被害を受けるが沈没は免れます。
右舷に18度傾斜した隼鷹は佐世保に帰投。
船体は修理するも機関部は放置。そのまま終戦を迎えます。
何か大きい海戦の前には故障して修理をせざる負えなかった飛鷹ってやっぱ不運艦?
特に南太平洋海戦で獅子奮迅の戦いを見せ、見事にアウトレンジ戦法を成功させ、日本帝国海軍の最後の空母機動部隊による勝利を導いた空母隼鷹。
どこか対照的な姉妹に見えます。・・・
生き残った空母の中で(世界でも)最大級の商船改造空母でした。・・・
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幸運艦とか、不運艦又は不幸艦という言い方があります。
戦場において、運、不運というのはどうしても影響してきます。
それが、勝敗を決定する要因になることもしばしばで、単艦レベルで行ったら更に影響は大きいものになります。
ところで、この記事を読んでいただいている方には幸運艦と言えば、どの艦を思い出すでしょうか?
終戦(傷つきながらも含めて)まで生き残ったという意味では、戦艦長門、日向、重巡青葉、駆逐艦響や潮、神風や春風、夕風などこの他にもいくつか挙げることができます。
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武勲艦であり、当時幸運艦と呼ばれていた艦では、航空母艦瑞鶴や駆逐艦時雨などこれもいくつか挙げることが出来るでしょう。
なんと言っても100以上の作戦に参加し、大戦を通じて激戦の中に投入されつつも、ほとんど無傷で終戦を迎えた駆逐艦雪風は武勲艦であり、終戦まで生き残った幸運艦の最たるもの。
KING OF KINGSです。まさに神っています。
お守りにしてもご利益があるのではというくらいです。
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駆逐艦雪風&天津風建造日誌
逆に不運艦又は不幸艦と呼べる艦もいくつかあります。
航空母艦翔鶴は立派な武勲艦だと思いますが、瑞鶴との対比で被害担当艦なんて言われ、不幸艦の様な扱いを受けています。
戦艦扶桑や山城なんて、もはやその不幸ぶりがネタになっています。(艦これの場合だけど)
今回は、しばらく前まで当ブログでも建造日誌を紹介していた、空母飛鷹と空母隼鷹のケースです。
飛鷹を作りながら、一方の隼鷹はかなり昔にタミヤさんからキット化されているにも関わらず、その同型艦はつい先日初めて艦船プラモデルのキット化をフジミさんによってなされました。ウォーターライン的には未だなしです。
この差はなんででしょうね。やっぱ人気の差なのでしょうね。
飛鷹型空母は商船改造空母と言われながらも、蒼龍とほぼ近い25000tクラスの規格外の軽空母(いやいや立派な中型空母です)です。
空母隼鷹は、幾多の海戦で活躍し、しかも帝国海軍機動部隊の最後の勝利を飾りました!
対して飛鷹は大事なところで怪我をして、修理中なことが多い・・・。
せっかく戦隊旗艦になってもすぐに隼鷹に移譲・・・。
なんか不運で残念なところがある娘。
空母飛鷹建造日誌はこちら
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空母飛鷹建造日誌

少し振り返って見ましょう!
開戦時
・隼鷹・・・角田少々率いる第四航空戦隊(以後、四航戦)で龍驤とともにアリューシャン方面の作戦に従事
・飛鷹・・・進水は隼鷹より先だったが、完成は遅れ、まだ建造中で参加できず。
昭和17年
・隼鷹、飛鷹、龍驤で第二航空戦隊(以後、二航戦)を結成。司令官は引き続き角田少将
・龍驤は新生、一航戦に貸し出し、挙句に第二次ソロモン海戦で沈没される。(囮になったいう説も)
・残りの二航戦は内地で訓練。ヘンダーソン飛行場を砲撃の金剛、榛名の航空支援のために現地に赴くが任務途中で飛鷹は発電機室火災 であえなく、リタイヤ。トラック泊地経由で内地に帰還。この時、雪風と初雪が護衛について一緒に帰っている。
一瞬だけ艦隊旗艦だったが、すぐに隼鷹に引き渡す。
猛将角田少将のアウトレンジ戦法(南太平洋海戦)
米海軍は、空母エンタープライズ率いる第16任務部隊と空母ホーネット率いる第17任務部隊。
対する帝国海軍は
南雲中将率いる機動部隊(空母翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)
と比叡、霧島の前衛部隊、金剛、榛名、隼鷹の前進部隊。
機動部隊は、ホーネットを炎上せしめたが、この時も翔鶴は運の悪さを露呈してしまい、中破、飛行甲板に被害を受ける。
(瑞鶴はほとんど無傷)
その後の大活躍が隼鷹です。

この時、隼鷹達は見事にアウトレンジ戦法を実現させます!
(アウトレンジ戦法は、瑞鶴さんだけの専売特許ではありません。)
敵との距離330里、飛行隊の行動範囲外から「必ず向かいに行くと」飛行隊を送り出す。敵との会合まで約2時間。その間、隼鷹は全速力で敵陣まで接近。航空機を収容するという戦法です。
日本海軍の理想とするアウトレンジ戦法。
南雲機動部隊一航戦の攻撃で空母ホーネットを攻撃。中破させます。
南雲機動部隊は、翔鶴、瑞鳳を傷つけられ避難。
彼女らの飛行機を回収し瑞鶴と会合した隼鷹は第二次、第三次をと航空隊を送り出し、未だ無傷だったエンタープライズを中破し、ホーネットに更なる痛撃を与え、同艦を放棄せざるを得ない状況までにしました。
ホーネット大破炎上、米軍が自ら沈めるしかないと判断。米駆逐艦の魚雷で処分を決意 計6+6=12本、5インチ砲430発を撃ち込んでも沈まず浮かんでいました。(何たる防御力)
帝国海軍が近づいてきたので避難します。
そこに来たのは例の秋雲と巻雲コンビ。各艦2本、計4本中3本が命中。沈んでいきました。
例のスケッチを描いた話ですね。
↓
駆逐艦秋雲エピソード
とまあ、隼鷹はこの海戦で大活躍を見せました。
昭和18年
海軍甲事件で暗号を解読し待ち受けた米航空隊によって山本五十六連合艦隊司令長官が戦死、連合艦隊旗艦の武蔵が遺骨をもって、内地に戻ることになります。
飛鷹はこれに同行しトラック泊地から本土に。
本土に戻っていた飛鷹はマーシャル諸島方面に出撃するも、米潜水艦の攻撃を受けます。
6本発射の内、4本が命中。3本が不発だったのは幸運としか言えません。
しかし、航行不能になった飛鷹は五十鈴に曳航され再びドック生活へ。
これと時を同じく、空母隼鷹も潜水艦の攻撃を受け、機関室と舵を損傷。重巡利根に曳航され、内地で修理をすることになりました。
飛鷹と隼鷹は母港の呉で修理を受けます。この時、飛鷹はダメコンの為に徹底的に木製設備を取っ払います。
隼鷹も飛鷹に見習って同様に木製設備を取っ払いますが、隼鷹が改造を受けた時はほぼ客船として完成に近かった為にこの作業は大変だったとのことです。
マリアナ沖海戦
この海戦で飛鷹は爆弾1発、魚雷1発を受けて沈没します。
隼鷹に向かったレキシントンからの攻撃機を長門が砲撃、4機を撃墜します。米攻撃機は攻撃目標を飛鷹に変え、飛鷹が攻撃を受けたと言われています。
(とばっちりなんですけど・・・)
また、この海戦でまたも運のない翔鶴が米潜水艦の魚雷4発を受け、こんどは沈没してしまいます。
大鳳は魚雷1発のみでしたが、気化したガスが抜け道がなく、艦内に充満。爆発を起こして沈没していまいました。
(不沈空母のはずが--、大鳳も立派な不運艦)
更に、この時、米軍はVT信管を開発。400機近くの航空機が撃ち落とされてしまいました。
この海戦で飛鷹は爆弾1発、魚雷1発を受けて沈没します。
隼鷹に向かったレキシントンからの攻撃機を長門が砲撃、4機を撃墜します。米攻撃機は攻撃目標を飛鷹に変え、飛鷹が攻撃を受けたと言われています。
(とばっちりなんですけど・・・)
また、この海戦でまたも運のない翔鶴が米潜水艦の魚雷4発を受け、こんどは沈没してしまいます。
大鳳は魚雷1発のみでしたが、気化したガスが抜け道がなく、艦内に充満。爆発を起こして沈没していまいました。
(不沈空母のはずが--、大鳳も立派な不運艦)
更に、この時、米軍はVT信管を開発。400機近くの航空機が撃ち落とされてしまいました。
マリアナ海戦後
その後の隼鷹は輸送任務につきます。
昭和19年、隼鷹は潜水艦からの襲撃を受けます。駆逐艦槙が身を呈し、魚雷1本を受けてくれたのですが、艦首と右舷中央部に魚雷2本を被雷、甚大な被害を受けるが沈没は免れます。
右舷に18度傾斜した隼鷹は佐世保に帰投。
船体は修理するも機関部は放置。そのまま終戦を迎えます。
何か大きい海戦の前には故障して修理をせざる負えなかった飛鷹ってやっぱ不運艦?
特に南太平洋海戦で獅子奮迅の戦いを見せ、見事にアウトレンジ戦法を成功させ、日本帝国海軍の最後の空母機動部隊による勝利を導いた空母隼鷹。
どこか対照的な姉妹に見えます。・・・
生き残った空母の中で(世界でも)最大級の商船改造空母でした。・・・
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