<タミヤ製 1/700 軽巡夕張建造日誌2日目 ~夕張水族館って何~>
夕張の船体サイズは全長139.45m、幅は12.04mでL/B値(全長/幅)=11.6と高速発揮に適した船体でした。
船体を見ていただくと分かる通り、駆逐艦式の船体をしています。
なんと言っても、最大の工夫は、装甲を船体に盛り込んだことです。
それまでの軍艦は装甲を船体外側に貼り付けるという構造でした。
それに対して、夕張は装甲を船体の船殻構成材に盛り込むことで徹底的に軽量化を図ったのでした。
しかし、設計理論に対して、当時の技術が追い付かず、竣工時点で計画時の3141tに対して419t多い3560tに達してしまいました。
計画時に対して14%も排水量が増えたことは、船体抵抗が増す要因になり、要求性能未達の要因になってしまいました。
さて、前置きはともかくとして、プラモデルの作成に入りましょう。
まずは普通に船体の接着です。

今回の目玉は、舷窓と舷窓塞ぎです。
先ほどお話した通り、軽巡夕張は当初の計画より、排水量がずいぶん増えました。
さらに追い打ちをかけるのは友鶴事件
友鶴事件に関してはこちらにも記載
↓
軽空母龍驤 友鶴事件と第四艦隊事件を添えて
この事件で復元性を改善するために更に124tの追加バラスト(おもり)を設置する工事がされました。
その結果、排水量が更に増し、安定性は増すもののますます、速度が落ちてしまいました。
更に喫水線が上がり、もともと満載時の航行では波に洗われるために「水族館」と揶揄された艦首、最下段の舷窓は廃止されました。
夕張ちゃん!最下段の舷窓!塞ぐって!

この娘のことなんで喜んでやりそうですが・・・
夕張の水族館って夕張の最下段の舷窓のことです。ヽ(´∀`)ノ
なあんだってことですいません。
夕張って普通の軽巡や駆逐艦より、かなり舷窓が多いですよね。
凌波性を良くするために艦首を1.1m高く設計されていました。
その分、艦首側の側面が広く見えます。
大戦末期にはこれをかなり塞いだのでここも一つの特徴になります。
タミヤのキットでは舷窓塞ぎはおろか、舷窓などのモールドや舷外電路は再現されていません。
そこで、舷窓は0.5mmのピンバイスで、舷窓塞ぎはCパイプを応用したポンチでプラペーパーをくり抜いて作りました。

このCパイプ、外径と内径の差が1.6mmと1.5㎜で急に変わります。
外径1.6mmの時の内径は1.15mm、外径1.5mmの時の内径は0.65mmです。
実は1.5mmの内径0.6mm前後の方がリアルです。
しかし、内径が小さすぎて筒の中からくり抜いたプラペーパーが出てこない!
そこで1.6mmの方を使うことにしました。
Cパイプをカットし、金やすりで先をとがらせてこれをピンバイスに差し込んで作りました。
それに0.6mmの円では小さすぎて貼ったんだかどうだか目立ちませんしね。
こんな感じになりました。

そして、もう一つの舷側のディテールアップの目玉は舷外電路の取り付け

いつものMKモデルズの舷外電路を使用します。

ちょっとリノリウム色がついて汚れていますが気にしないでください。
実は、以前プラモデルを開始した時に タミヤの「駆逐艦 島風」を同様に舷窓塞ぎを再現したのですが、この時は市販のポンチを探しまくり、最も小さいのが直系2mmだったんでこれを使ったんです。
当時としては満足な出来だったのですが、ちょっと気になったのが舷窓塞ぎの大きさでした。
もう少し小さくても良かったのにというので、今回は一回り小さく出来ました。
良かったら当時の「駆逐艦 島風」も見て下さい。
島風建造日誌はこちら
↓
タミヤ駆逐艦島風建造日誌
なんてったって、このブログのアドレスは、zekamashi1941.comです。
1941年は島風の起工年ですよ。
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夕張の船体サイズは全長139.45m、幅は12.04mでL/B値(全長/幅)=11.6と高速発揮に適した船体でした。
船体を見ていただくと分かる通り、駆逐艦式の船体をしています。
なんと言っても、最大の工夫は、装甲を船体に盛り込んだことです。
それまでの軍艦は装甲を船体外側に貼り付けるという構造でした。
それに対して、夕張は装甲を船体の船殻構成材に盛り込むことで徹底的に軽量化を図ったのでした。
しかし、設計理論に対して、当時の技術が追い付かず、竣工時点で計画時の3141tに対して419t多い3560tに達してしまいました。
計画時に対して14%も排水量が増えたことは、船体抵抗が増す要因になり、要求性能未達の要因になってしまいました。
さて、前置きはともかくとして、プラモデルの作成に入りましょう。
まずは普通に船体の接着です。

今回の目玉は、舷窓と舷窓塞ぎです。
先ほどお話した通り、軽巡夕張は当初の計画より、排水量がずいぶん増えました。
さらに追い打ちをかけるのは友鶴事件
友鶴事件に関してはこちらにも記載
↓
軽空母龍驤 友鶴事件と第四艦隊事件を添えて
この事件で復元性を改善するために更に124tの追加バラスト(おもり)を設置する工事がされました。
その結果、排水量が更に増し、安定性は増すもののますます、速度が落ちてしまいました。
更に喫水線が上がり、もともと満載時の航行では波に洗われるために「水族館」と揶揄された艦首、最下段の舷窓は廃止されました。
夕張ちゃん!最下段の舷窓!塞ぐって!

この娘のことなんで喜んでやりそうですが・・・
夕張の水族館って夕張の最下段の舷窓のことです。ヽ(´∀`)ノ
なあんだってことですいません。
夕張って普通の軽巡や駆逐艦より、かなり舷窓が多いですよね。
凌波性を良くするために艦首を1.1m高く設計されていました。
その分、艦首側の側面が広く見えます。
大戦末期にはこれをかなり塞いだのでここも一つの特徴になります。
タミヤのキットでは舷窓塞ぎはおろか、舷窓などのモールドや舷外電路は再現されていません。
そこで、舷窓は0.5mmのピンバイスで、舷窓塞ぎはCパイプを応用したポンチでプラペーパーをくり抜いて作りました。

このCパイプ、外径と内径の差が1.6mmと1.5㎜で急に変わります。
外径1.6mmの時の内径は1.15mm、外径1.5mmの時の内径は0.65mmです。
実は1.5mmの内径0.6mm前後の方がリアルです。
しかし、内径が小さすぎて筒の中からくり抜いたプラペーパーが出てこない!
そこで1.6mmの方を使うことにしました。
Cパイプをカットし、金やすりで先をとがらせてこれをピンバイスに差し込んで作りました。
それに0.6mmの円では小さすぎて貼ったんだかどうだか目立ちませんしね。
こんな感じになりました。

そして、もう一つの舷側のディテールアップの目玉は舷外電路の取り付け

いつものMKモデルズの舷外電路を使用します。

ちょっとリノリウム色がついて汚れていますが気にしないでください。
実は、以前プラモデルを開始した時に タミヤの「駆逐艦 島風」を同様に舷窓塞ぎを再現したのですが、この時は市販のポンチを探しまくり、最も小さいのが直系2mmだったんでこれを使ったんです。
当時としては満足な出来だったのですが、ちょっと気になったのが舷窓塞ぎの大きさでした。
もう少し小さくても良かったのにというので、今回は一回り小さく出来ました。
良かったら当時の「駆逐艦 島風」も見て下さい。
島風建造日誌はこちら
↓
タミヤ駆逐艦島風建造日誌
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1941年は島風の起工年ですよ。
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今日は、真珠湾攻撃の日にあたる12月8日です。
戦争で亡くなった全ての英霊の方々のご冥福をお祈りいたします。
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