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GAKUTEN

Author:GAKUTEN
●艦これをきっかけに艦船プラモデルに戻ってきたいわゆる出戻り提督モデラーです。
 ・・プラモを始めたのは15年の年末ごろ。艦これは2か月程先行。
 ・・小中学の頃はウオーターラインシリーズを集めきっていたくらいガチの艦船好き。
 ・・当時は戦車、飛行機、ガンプラと幅広く手掛けていたらしい記憶がわずかに。
●現用艦もいけますが、太平洋戦争の船が特に好き!
●プラモデルの他に動物(主に猫)、読書、テニスが好きです。
●プラモデルの作成方針は、それぞれの船の特徴をピックアップし、自分なりのこだわりを持ちながらもスピードを意識した組み立てです。
⇒最近は資料片手に細かくなっていく傾向。おかげで作る時間ばかり延びていく。
●基本、週末の建造ですが、週一ペースは最低守りたい。
●提督モデラーの方々や最近始めた方の参考に少しでもなれば幸いです。
●艦船に歴史あり、感動的な話もあります。歴史的な話も含めて主観に基づいて書いていきます。
●コメント大歓迎。気軽にお願いします。

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2018/08/25 (Sat) 12:00
軍艦防波堤(福岡県北九州市)聖地巡礼その2

軍艦防波堤(福岡県北九州市)聖地巡礼その2


前の記事に引き続き、北九州市の軍艦防波堤レポートです!


この軍艦防波堤には、駆逐艦柳(初代)、防空駆逐艦 秋月型で最期には戦艦大和と沖縄特攻で傷つきながらも何とか佐世保に戻った冬月と涼月の3艦が眠っています。

前回の記事はこちら

 ↓
軍艦堤防(聖地巡礼)その1



<駆逐艦涼月>


涼月g

駆逐艦涼月は駆逐艦秋月型の3番艦です。
同型艦ですが、細かく言うと、秋月と涼月は部分的に若干形状が異なります。

駆逐秋月建造日誌
 ↓
フジミ製 駆逐艦秋月建造日誌


でも、写真の初月(4番艦)と涼月(3番艦)はかなり近いのです。

<駆逐艦初月>

駆逐艦初月


<柳の艦首から駆逐艦涼月と駆逐艦冬月の埋められている方向を望む>


柳の艦首から見た涼月と冬月

軍艦防波堤から涼月、冬月の方向を眺めながら

私は以前、「激闘駆逐艦隊: 萩風・凉月の奮戦記 」(河出文庫)を読んだ時の沖縄特攻からの帰還シーンを思い出したりしていました。

感動的な話ですので簡単に要約しますね。



<駆逐艦涼月の決死の帰還>

1945年4月7日
第一波空襲時に艦橋前に150kg爆弾の直撃を受け、上甲板、側面に大破口が空き、火災も発生しました。

作戦継続不可能と判断した駆逐艦涼月艦長 平山中佐は作戦継続不可能と判断し帰投を決意。
しかしながらジャイロコンパスも海図もほぼ焼失している状態でした。

艦首側は進水。前方傾斜は10度。
前進すると沈んでしまうため、後進9ノットで帰還を目指します。

途中、米空母イントレピッドの艦載機の魚雷攻撃や米潜水艦の魚雷攻撃を受けながらも運よく命中せずに、駆逐艦初霜の帰還方向の指示も受けながら何とか4月8日2時半佐世保に到着します。

帰着が遅く既に沈没したものと諦められていた涼月でしたが、生還できたと聞いて冬月のクルーも大喜びだったということです。

冬月は2隻だけになってしまった「第2水雷戦隊 第41駆逐隊」の僚艦です。

しかし、佐世保港について前進に切り替えた事で浸水が進行し始めました!
大急ぎでダグボートを手配しドッグに入渠。

排水を待つことができず、ここで力尽きて着底してしまいました。

既に浸水していた前部弾薬庫の中では火災の誘爆を防ぐ為に自らの命を犠牲にし、内部から防水処理を施した為に窒息した3名のクルーが見つかりました。

この犠牲のおかげで火災が誘爆することなく、他の乗員は生還できたのです。

大破した駆逐艦涼月の修理はされないことが決定され、佐世保に抑留されました。

涼月1945
<1945年 抑留される駆逐艦涼月>

復員艦としても使用されませんでした。
そして、防波堤としてここ響灘を臨む海岸で防波堤として最後の役割を果たしているのです。


<駆逐艦柳(初代)> 桃型駆逐艦


IJN_Hinoki_at_Wuhan_Taisho_12.jpg
(桃型駆逐艦檜 Wikipediaより抜粋)

駆逐艦柳は1917年5月5日に竣工した全長88m、基準排水量755トン程度の小さな二等駆逐艦です。

前回の記事に書いた通り、遠く地中海まで赴き、第二次大戦でも練習船として戦後まで生き残りました。

柳艦首から

よく見ていくと興味深い部分がありました。


<主砲設置個所>

主砲の位置拡大

上の写真にある様に艦橋前に単装の主砲が備え付けられています。
その設置個所と思しき個所に上記のような跡が残っていました。

この後ろに艦橋があったと思われます。


<タンブルホーム型の船体>

横からよく見ると船体が喫水線に向かって膨らんでいるのが分かると思います。
この形状をタンブルホームと言います。
確か復元性が良いとかの理由で当時、多く採用されたのだと思います。

タンブルホーム


私は流体力学とか詳しくはないですが、海面との抵抗を減らす為なのか、波の影響を抑える為か、甲板面積の艦形からか?
駆逐艦睦月型を最後に上部に向かって広がっていく現在の形になっていきます。

逆に駆逐艦睦月型まではタンブルホーム形状でした。
今、開発中のヤマシタホビーさんの駆逐艦睦月はこの再現をされているようです。
発表してから時間がかかっているようですが・・・楽しみです。

以前、神風型駆逐艦春風を作った時にはパテで埋めたりしました。

駆逐艦春風建造日誌 
 ↓
駆逐艦春風建造日誌(駆逐艦神風型)


面白のは最新鋭の技術実証艦 ミサイル駆逐艦ズムウォルト級は波浪貫通タンブルホーム船型を採用しています。


ズムウォルト
(Wikipediaより)

一周廻ってきた感じがしますよね。

もっとも、ズムウォルトの場合、復元性とかではなく、ステルス性を究極に求めた結果レーダー波を全て空に放射するようにこの様な形状になっている訳ですが・・・

あんまりにもお金が掛かる為か3隻で中止になっています。
日本もDDXなどで検討していた様ですが、別の方向になっているようですね。

船体の外殻?


船体を上から見ると、外殻が二重構造になっていました。
最初は魚雷移送軌条かなと思ったのですが、移送軌条なら甲板上に据え付けられているだけの様な気がするので違う気がします。

ちょっと詳しいことは分かりません。(なんかの機会に調べてみるかもですが)

<駆逐艦柳 艦尾>

柳艦尾


可愛らしいクルーザースターンですね。


<駆逐艦柳から日本海を望む>


柳から海を一望

この日はとても天気のいい日でした。
(暑かった・・・・)

ここから望む風景は、日本海 響灘、その向こうには対馬、釜山の方向ですか・・・

結構、地の利が悪く少々面倒だなと思いつつ行った軍艦堤防ですが、行って良かったです!

過去に少し思いをはせ、海を眺めるのもいいかも知れません。

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2018/08/16 (Thu) 12:00
聖地巡礼(北九州市) 軍艦防波堤に行って来ました!(その1)

聖地巡礼(北九州市) 軍艦防波堤に行って来ました!


とても暑い日が続きますが、如何お過ごしでしょうか?
私はすっかり日焼けさんです。

と言うのも
夏休みを利用して、九州艦船旅行に趣味友と供に行って来ました。


ルートは
①小倉(軍艦防波堤・模型屋)⇒
②佐世保港(軍港クルーズ、護衛艦一般公開、周辺遺構)⇒
③長崎港(軍艦島クルーズ、周辺遺構)

と大変てんこ盛りの2泊3日でした。

まずは①の小倉の模型店 

ホビーボックス小倉店
 ↓
ホビーボックスHP

どこの模型店に行っても楽しいものですね。

本店はもっとたくさんある様ですが、小倉店の艦船の品ぞろえはそれ程でもなく、一通り見て市内に戻ろうとしたのですが、店頭でセールになっている艦娘を発見!

瑞鳳ハセガワg

「買って買って~」って言われている気がしたので購入しました!
なんと4割引きですしね。

軽空母でもNo,2の可愛い(主観です)艦娘 瑞鳳ちゃんを手に入れました。
(ちなみにNo,1は龍驤さんです。えっ聞いてない?)
中身の説明等をしてしまうと又長くなるので後の機会にします。


そして、次に向かったのは

彼女の眠る 軍艦防波堤です!


涼月さんg


以前から知識として持っていましたが場所が場所なだけに、この様な機会がないとまず行くことはないでしょう!
しかも一人だけだったら行ったかどうか?

その場所とは

軍艦防波堤位置

<一応アクセス>

小倉駅よりバスまたはJRで若松駅に行きます。

時間帯が合えば、電車が相当遠周りなのでバスの方が早いです。(乗車時間は15分程度)
但し、バスの乗り場が小倉駅から歩いて7分程度の場所にあるので、分かりにくい。
バス案内所で聞いて行きました。
若松駅前(西鉄バス)または若松市民会館前(北九州市営バス)で小倉駅から若松駅前まで行きます。

そこからタクシーを拾って軍艦防波堤まで行きます。

私たちが乗ったタクシーの運転手は地元の方でなかったのでスマホのナビをみせながら行きました。
地元の方だったら「軍艦防波堤」で分かると思います。

正式には「響灘沈艦護岸」ですが、たぶんこちらの方が分からないと思います。

軍艦防波堤住所、〒808-0021 福岡県北九州市若松区響町1丁目
(タクシー代2190円也(片道) 2018年8月10日現在)
他にも目的地がある様ならレンタカーを借りるという手もあります。

たどり着くとありました!


<軍艦防波堤>

軍艦防波堤

横に看板があります。

看板

ここに埋められているのは、

二等駆逐艦 柳、秋月型駆逐艦 涼月、同 秋月型駆逐艦 冬月です。


丁寧に配置図が載っていますよ。


防波堤の位置関係

沖縄特攻に一緒に赴き、何とかぎりぎり生還した秋月姉妹は向かい合って埋められています。

ただ、残念なのは実際に見えているのは柳の船体だけで、涼月と冬月はコンクリートの中です。

このブログは基本は艦船模型の制作ブログなので一応
駆逐艦秋月の建造日誌はこちら
 ↓
フジミ模型製 駆逐艦秋月建造日誌


この看板を見て、少々軍艦に詳しい方は疑問に思うに違いがありません!

大戦末期まで生き残った秋月型姉妹はともかく!
二等駆逐艦 柳、それも松型なら分かるのですが、初代の桃型駆逐艦 柳です!


入れ替わりの激しい駆逐艦の中で、峯風(1920年竣工)より古い柳が最新鋭駆逐艦涼月、冬月と一緒に埋められているってなぜ?と

因みに
秋月型駆逐艦の長女 駆逐艦秋月の竣工は1942年6月です。
3女 駆逐艦涼月の竣工が1942年12月。
8女 (改秋月型)駆逐艦 冬月の竣工は1944年5月。

そして、
桃型駆逐艦柳の竣工は1917年5月5日。
(松型駆逐艦柳の竣工は1945年1月、しかも大破着底ながら終戦まで生き残っている)

駆逐艦涼月に比べれば25歳も年上のおばあさんです!


バーニングラーブg


こんな事を言ったら、金剛姉妹に砲撃をくらいそう・・・(不幸姉妹も睨んでらっしゃる)
(金剛姉妹の竣工は1913年~1915年、扶桑1915年、山城1917年)

docccann.png


いえいえ、彼女たちは大々的な近代化改装を受けて、最新の巡洋戦艦又は戦艦に生まれ変わっているのピッチピチです・・・
(;^_^A


ともかく、なぜ 駆逐艦柳(初代)が一緒に埋められているかですが、

実はこの駆逐艦柳(初代)は

この駆逐艦柳は第一次世界大戦で「第二特務隊」の一員として地中海のマルタ島へ派遣。
イギリス輸送船団を守りあるいはドイツのUボートに沈められた船員の多くを助けた特務隊の一員。


すなわち武勇艦の一艦!


そして、その後も中国など近海で活躍。
1940年に佐世保海兵団の練習船になり、終戦を迎えた様です。

マルタ島にはこの第二特務隊の任務中に沈んだ駆逐艦榊の犠牲者の慰霊碑があるとのことです。

恥ずかしながら、私今回、現地に行くまでマルタ派遣のことを知りませんでした。

昨日、8月15日は終戦記念日ですが、過去の方々の様々な犠牲の上で成り立っている平和。
その大事さをちょっと考えてみるのもいいですね。



軍艦防波堤の触りだけで、終わってしまいました。

次回は、軍艦防波堤から見えてくることとか、冬月涼月のこととか。

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